元会社(DIK)時代からお世話になっている先輩から大昔にオイラが社内報に寄稿した記事が送られてきた。昨日の「この先どうする?」の「ひと言」を読んだ後でこの社内報記事を見つけて、いいタイミングだとわざわざ送って下さったのだ。 その原稿はオイラが33歳、マレーシアのクアラルンプールで苦労して支社を立ち上げた時に書いたものだったが、こんな気持ちだったんだなぁ、と忘れていた記憶が蘇ってきた。こんな出だしだった。 ことし一月三十一日、本社より田中社長、矢部取締役、DIKタイより川村社長をお招きし、DIKマレーシアのオフィシャル・オープニングが挙行された。南国の青空にはためくDIKの社旗を仰ぎ見ながら、この日に至るまでのさまざまなことが思い起こされ、感きわまった。 三年半前の赴任当初、私は重度の下痢に悩まされ、通じない会話にいらだち、はかどらない仕事に焦り、体重が八キロ減った。ひとり寂しくホテルの部屋で、「これから俺はどうなるのだろう」と不安いっぱいだった私を元気づけてくれたのは、DIKの仲間から餞別にもらった「スーダラ伝説」と「ひばり大全集」(二枚組み)のCDだった。植木師匠は、「いろいろあるよいろいろね そんなこたどうでもいいじゃねえか」と笑いとばされ、ひばり先生は、「川の流れのように」とやさしく諭してくださった。 今の自分からすれば「おい、そんなのは苦労のうちに入らねーぞ。その後、とんでもねぇ、苦労人生が待ってるからな」 と無慈悲な声もかけてやりたくなるが(笑)、この時は、なんかこう、一つの山を乗り越えて、これから果てしない希望が満ちているという斜め上向きの眼差しが思い浮かぶ。 まだまだ初心を忘れずに、挑戦し続けていったろうやないかい、という気持ちになった。
Month: August 2023
無事にBKKー福岡ー博多ー広島の長旅をこなして彼氏の実家に到着した娘とハゲ。実家で過ごした後に大じいじ、大ばあばの家に親類も集まって賑やかに受け入れてもらった。オイラとカミさんもLINEビデオで繋いで皆さんとご挨拶。みんなが喋る千鳥のような広島弁がとても心地良い。 ゲラの娘がみんなの中で大笑いを連発していて、やたらに場が盛り上がっていたが、大じいじが彼氏に 「ほんと明るくてええ子やね、そういう子が絶対ええ。うちのばあちゃんも明るくてずっと笑ろてる、それがええんや。美人は3日で飽きるけど」 と、何度も繰り返し言ってると聞いてカミさんが 「これは、美人じゃないと言うことだね」 と笑っていた。
今日は深夜の便で娘と孫二人が一時帰国する。福岡空港に降りて、そこから新幹線で広島へ行くルートらしい。 バンコクは今週、夕方になると豪雨がやってくる日々が続いていて、元々ある渋滞に輪をかけるので、夕方から夜にかけてスクムビット通りやそれに繋がる道路は「駐車場」状態になる。 そして今日は金曜日。金曜日の夕方に豪雨があれば、2時間でも3時間でも車は動かないだろう。空港に向かうためのグラブ自体が娘の家に辿り着けない可能性が高い。 そこで。 今日は午後に空港そばのクライアントで会議があり、それが午後3時に終わる予定。クライアントオフィスから帰宅せず、娘はそのまま空港に向かい、カミさんは孫二人を連れて渋滞や豪雨が始まる前の午後3時にグラブで空港に向かうという超セーフティファースト作戦を採用することになった。 空港ではフライトまでの約9時間、トムハンクス状態になるが、精神の安定は保てるだろう。
16曲も課題曲をリストアップして全曲平等に練習してきたジジイバンドだが、それではどの曲も一向に上手くならないことにようやく気がついて、先週から3曲に絞った練習を始めた。 当然ながら1曲に充てられる練習時間(個人練習も合同練習も)が格段に増えるので、だんだん上手くなっていくのがわかる。そうすると、なんか自ずとやる気も湧いてきて、もっと練習するという好循環が起こる。 今オイラの持ってるLINEグループで最も活発なのがこのジジイバンドグループで、 「あそこは1回目と3回目は半拍ズラしてシンバルを入れた方がいいね?」 「最新のライブでの終わり方より旧バージョンの方が好きなんだけど、そっちに変えない?」 「最後サビ2回やってからエンディング。サビの間って2拍でなく4拍だよね?」 と一丁前なことを言っている。 みんなの頭の中には盛り上がったり涙したりする客席の女子たちが渦巻いているのだが、そんな結末が待っていないことを今はまだ誰も知らない。
今月頭、息子が日本に帰国する前の最後の週末に、彼らが子供の頃から撮り溜めた写真をスライドで上映した。 マレーシアのランカウイ島やモルディブ、オーストラリアのダーウィン、パース、ギリシャやデンマークやスウェーデン、カナダのトロントやバンクーバーなど、マレーシアという地理的優位さや海外駐在員という身分を利用してずいぶん豪勢に旅行していたもんだなと思う。 当時は日本の給与はそのまま日本の口座に振り込まれ、その上でそれ以上の海外勤務手当というのをもらう時代だったから海外駐在員はそれなりに生活が楽だったと思うが、今はそんなこともないらしい。 写真のスライドの箱の隅から子供たちの2歳の時の声、とか4歳の時の声、とか古いカセットテープが出てきたが、もはや我が家にはカセットプレイヤーがない。 そのためにプレイヤーを買いに行くのも面倒だし、どこかに落ちてないかな(笑)。