Author: Jun

初めての地震パニック

地震がない国の一つとして知られていたタイが1000km離れたミャンマーの余波を受けて初めて大きく揺れた。日本のニュースやSNS上でも建設中のビルが倒壊する動画が溢れている。オイラはマニラの空港で出発を待っていた。プラトゥーナムで買物をしていたカミさんからメッセージが入って、パニックになった群衆が大挙して走り出して、それに巻き込まれて走るしかなく、このまま将棋倒しになったら死ぬかもと恐ろしかったと伝えてきた。地震初体験の人々は、倒壊するかも知れないビルから一刻でも早く逃れようと街中を走り回るが、それもとても危ない。 日本人駐在員家族の多いトンロー地区でも高層マンションの壁が落ちたりヒビが入ったり被害の様子がLINEグループで行き交っている。 オイラがバンコクの空港に降り立ったのは夜11時近かったが、地震直後から全面停止した公共交通機関のせいでタクシー乗り場は長蛇の列だった。 フィリピン出張も疲れたけど、ここからまた長時間かけての帰宅でヘトヘトになった。 フィリピン出張の成果は来週月曜日に出る。この週末は何もせず(もうパワーがない)、だらっとして過ごす。

芯を食ったホームラン

某日系メーカーのクライアントのフィリピンでの販売代理店に対するプレゼンテーションにはクライアントよりも30分早く販売代理店のオフィスに到着してしまい、早々にミーティングルームに通されてしまった。 受付係から「ちょうど社長も出社しました」と伝えられ、そのままミーティングルームで緊張して待つ。しばらくすると一人の70歳にしては若く見える高齢者が入室してきた。オイラはクライアントが到着する前にここで機嫌を損ねたらえらいことだと思い、ニコニコと会話を始めた。彼もニコニコといろいろな体験談や若い頃の話をしてくれて機嫌は良さそうだった。さらにオイラは彼の会社がこのクライアントの販売代理を始めた30年間を振り返り「この30年、山あり谷あり、いろいろご苦労はあったでしょうねぇ」とか「30年前と言ったら、まだ学生じゃないですか?」などとベタなおべんちゃらをかましながらとにかくプレゼン前に場を温めておこうと頑張っていた。 そうこうしてもうすぐ会議開始の時間だなと思った矢先、70歳にしてはちょっと若く見える高齢者が入室してきた。 どっちなんだい! 彼と一緒に入室してきた50代くらいのマネージャーが彼を 「弊社の社長です」 とオイラに紹介した。 オイラはずっとおべんちゃらを言っていた目の前の高齢者を見て、心の中で 「お前じゃないんかーい」 と思いっきり突っ込んだ。と同時にそれが可笑しくて笑えてきた。後から入ってきた社長はやはりちょっと貫禄が優っていて、少し気圧されるほどだった。 会議参加者が揃うのを待つ時間。真ん中の青いシャツの方が社長でオイラの目の前の水色ボーダーの方がフェイク。 ほどなくクライアントも到着して、10人ちょっとを相手にオイラはプレゼンを開始した。 時折、社長の様子を伺い、頑固虫を拗らせてないかどうか気を遣う。 約40分のプレゼンを終え、緊張して社長の言葉を待った。 「誰か、質問や意見はないのか」 と社長が他のマネージャーたちを見回す。一同、シーンとしている。こういう会社なのだ。ワンマン社長が全てを決める、誰も何も言わない。そういう会社なのだ。 「じゃあ、オレから言うが、とてもわかりやすい、素晴らしい提案だった。今まで我々も挑戦してこなかったが、やはり時代も変わった。我々も変わらなければならない。私はJunと一緒に仕事がしたい。具体的にいつから、何から始める?」 私はちょっと夢かもと思った。心の中でガッツポーズをした。 オイラの横でクライアントの日本人が驚いた顔をしていた。そして「ここまで良くやってくれました」とオイラに囁いた。オイラが退室した後クライアントと販売代理店のメンバーで直接生臭い協議を行うため、オイラは彼らに手を振ってホテルに戻る。 そして、明日バンコクに戻る。できることは全てやった。あとはクライアントと販売代理店の社長がまた喧嘩して今回の提案を破断にしてこないことを祈るのみである。お願いします。

マニラの朝

ホテルから見るマニラの朝。昨夜アキノ空港に着いてエアポートタクシーでホテルまで向かう道は結構混んでいたが、通りかかった公園付近では20時過ぎにも関わらず多くの地元民がジョギングをしていてあまり危険なイメージはなかった。 今日はこれから現地のパートナー会社やバンコクから出張してきているクライアントと打ち合わせをし、明日、そのクライアントの現地販売代理店に対してオイラがプレゼンをする。 プレゼン資料は2週間前にはしっかり作り込んであるので、今日はプレゼンの神が降臨してくれるのを待つばかりだ。

杜の詩

昨日は年2回あるソフトボールの春大会。全8チーム中、我らがおぼんこぼんは2チームで参加。そして結果は4位と5位と何の賞品ももらえないパッとしない順位に終わった。 オイラ、3戦中2試合投げて、2試合とも勝利。よく投げて、よく打って、よく走った。帰宅したらぐったりした。でも、楽しかった〜! それから賢ちゃんとやってるバンドの演奏、サザンオールスターズの 「Relay〜杜の詩」 が完成したので、これを年末年始のウブドの「杜」に重ねて動画を作ってみた。 ジジイたち、どんどん上達してて、相当仕上がっていると思ってる。ちょっとお願いだから聴いてみて! そして、明日からフィリピン出張。全力でぶつかってくる。

青春時代

昨日3件のプレゼンを無事に完了し、長い怒涛の1週間を終えた。今日は午前中にクライアントが出展している国際展示場に様子伺いに出向き、お昼に甥っ子の健介を訪問。赤ちゃんとの初めての対面だ。午後戻ってきたら夕方のサザンのスペシャルライブを観てゆっくりしたい。 明日は朝からソフトボールの大会。全部で4試合を戦うのでしっかり休息。 そして来週はいよいよマニラ出張。今年の命運を握る大事なプレゼンだ。 そんな忙しい時間を縫って、今朝は3時に起きて賢ちゃんとのバンドの演奏音源のマスタリング作業を完了し、サザンの「Relay~杜の詩」の演奏が完成。これに年末年始に行ったウブドの映像を乗せて、最終形となる。 仕事も遊びも全力で。65歳の青春真っ只中。

混乱するジジイ

気をつけて気をつけてわかっているのにやっちゃうんだよね。日本やマレーシアとの時差間違い。 日本から申し込まれた日本時間の会議、「えっと2時間違うんだから・・・」と思いながら、カレンダーになぜかその日本時間を書き込んでしまい 「山森さん、会議お待ちしていますー」 と電話が鳴る。 「えっ!」 と焦る。 ここしばらく、本当に創業以来初めてくらい忙しいので、打ち合わせやプレゼンの日時が錯綜してしまい、その上、クライアントの日本本社、タイ支社、シンガポール支社、カンボジア支社と同じ企業名ながら別法人との仕事だったり、親会社とグループ子会社との仕事だったり、それぞれ時差あるし、訳わかんねーんだよ!(笑)。 もうそういうことを軽々と頭の中で整理できる年じゃねーんだよ。 ということで、さっき日本から「日本の20時半に打ち合わせできますか?」と入ったのは、えーと、えーと、18時半にスタートという理解でいいのね。

39回目の結婚記念日

今日は、結婚記念日。去年はどう過ごしたんだろうと思って、1年前の「ひと言」を見たら、 離れる日(https://www.junmas.com/%e9%9b%a2%e3%82%8c%e3%82%8b%e6%97%a5/) となっていて、千朝、ハル、ゲンがタイを離れて日本に移住するその日だった。タイで生まれたゲンとの日々を振りかった文章に、あの頃の切なさが再び蘇った。 だから結婚記念日に思いが及ばなかったんだろう。 今回は39回目の記念日。薔薇の花束を作ってカミさんに渡した。 今日は少し仕事とバンドをやって、夜はどこかでお祝いするか。

この6日間

週末も資料作り、月、火と早朝から動く日が続いていて、ゆっくり「ひと言」を書くのも久しぶりだ。6日も開いてしまったのか。もう1週間分はゆうに稼働した気分なのにまだ水曜日。珍しく真剣に働いてるなと思ったのか、カミさんが圧力釜でお汁粉を作ってくれた。食後に体全体に沁み渡る甘さ。幸せ。よし、もっと頑張ろうと気力が漲ってきた。 最近カミさんが94歳のフィットネスインストラクター「タキミカ」さんの話をよくする。65歳から運動を始め、87歳でインストラクターデビューという経歴に、65歳である我々も人生はまさにこれからなんだと励まされているらしい。 先週は小学校からの地元の同級生、綱川君とたまたま仕事で来ていた菅原君と少しだけ会う時間があったので、居酒屋で飲んだ。 彼らは日本ではほぼ毎週西荻窪の養老の滝でちょい飲みをしているらしい。養老の滝ってチェーン店はオイラが学生の頃一世を風靡したが、まだ残っているんだね。それでも若い人はもう少し小洒落たカフェ系ビストロ系に行くので、居酒屋チェーン店はジジイたちの溜まり場らしい。きっと安心するんだよね(笑)。 オイラも一時帰国したら西荻の養老の滝でのちょい飲み会に入れてもらうことにした。

ジジイが走った1日

フィリピン出張気が重いなぁと目覚めて、今日は朝8時から日本とオンラインミーティングなので散歩も短距離で済ませ、朝食を食べて部屋に入ってMacBookの蓋を開いたが、いつものようにジャーンという音がしない。ケーブルや電源を確認して、何度もやり直したけど画面は真っ黒いままでうんともすんとも言わない。どうしても起動しないので、急遽カミさんのを借りて、ミーティングルームにログイン。ミーティングの間にカミさんには再度充電を試みてもらったが、やはり全く起動しない。8時と9時にミーティングを2件こなし、すぐに着替えてインターコンチネンタルホテルへ。 今日はクライアントのイベントがあって、その立ち合いに。午後1時過ぎに会場を出て、アップルの修理店が入っていたターミナル21に走る。ところが、あったはずのお店はiStudioという販売店に変わっていて、店員に問い合わせてもここでは修理できないので、アップル正規店のあるエムクォーティエ(というショッピングモール)へ行けと言われる。そして、エムクオに走る。アップルストアのあった階までエスカレーターで駆け上がるも、そこにはお店がなく、ケータイショップになっていた。お店の人に聞くと、ここにはないよ、セントラルワードに行かないとダメだ、と言われる。ダメだ、ここで折れちゃダメだ、と自分に言い聞かせ、気持ちを落ち着かせるためにイヤポッドを出し、音楽を聴くことにした。ポッドを耳に入れて、ツルの部分を耳にかけようとした時に、そのツルが折れた。お前が折れるんかい、と静かに突っ込みながらも、ここでオイラの心まで折れちゃダメだと言い聞かせて、セントラルワールドに走った。ここのアップルストアはセントラルワードのビルに隣接した巨大な2階建ての円柱で、その円柱の外壁は全てガラス張りといういかにもアップルらしい金のかかった美しい建物だった。 小さなリンゴのロゴが左胸に入ったTシャツを着た若い店員に、これを修理して欲しいと告げると、手持ちのタブレットの画面を指先でツンツンと操作して「修理の受付まで2時間ちょっとですが、いいですか?」と言われる。身体中の骨がぼきぼきに折れそうだったけど、耐えて耐えて「待ちます」と答えた。セントラルワールド内をぶらついて甘味屋を探し、アップルパイを食べる。 やっぱり甘味の威力は凄く(特にオイラには)、店の窓から外を眺めてアップルパイを食べていたらまた勇気が湧いてきた。 そこからなんとか2時間を潰し、アップルストアに戻ってマシンを診てもらう。30分ほど経って戻ってきたスタッフは「ロジックボードが死んでいる」と笑顔で言った。ロジックボードはPCの脳なので、いわゆる脳死だ。データも戻らない。ロジックボードの交換やらなんやらで20,000バーツ(約88,000円)。痛いーと心の中で叫んだら、「保証期間なのでお金は一切かかりませんよ」と天使の微笑み。ずいぶん前に買ったものだけど、まだ保証期間なのか?まあそう言ってるんだからいいか、と気持ちを建て直す。「でも、ロジックボードは取り寄せで1〜2週間かかります」と言う。そんなに長いことPC無しでは無理。フィリピン出張もあるし。資料も作んないといけないし。「えーー」と泣いてたら「いい方法があります。好きなMacBookを今買ってください。それを使ってください。それで、ロジックボードが届いて交換修理が終わったら、そのMacBooKを返却してくれれば、お金は全額返金します」 えー!そんなことできるの?それはちょっと神サービスじゃないの?アップルにどんなメリットがあるの?と思ったが、まあそう言ってるんだからいいか、と気持ちを建て直す。 すぐに彼女と2階の売り場に行き、買う。MacBookを「これ」って5秒で買う。世界最速でMacBookを買った男、オイラ。 直してもらうのはMacBook Proなので、スペックは落ちるけど、まあ2週間のことだからいいか、と5秒で買う。 それらの手続きが全て完了したのが夕方6時半。そこからソフトボールの監督会議の店に走り、大会要綱やルールの話し合いをして、10時過ぎに帰宅。 ほんとに、へっとへとになった1日だった。

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