昨日はバンコク暑かった。朝グラウンドに到着した時から今日はヤバイなと思った。 そして、3試合。その内の2試合を投げた。2試合とも完封といういい出来だったが、帰宅してからぐったりした。 完全に熱中症ですね。 夕食を終えると、冷却材を首筋や脇の下などリンパの通るところへ挟み、ベッドで横になり、そのまま朝まで眠った。 起床すると少し改善したようだったが、筋肉痛と合わさって移動するのもちょっとたいぎな状態だ。 カミさんはそんなことになるならもうソフトは辞めたらどうだと言うが、それは厳しい。 次回は冷却材を頭や体に巻きつけてグラウンドに出るかなぁ。。
Author: Jun
シンガポール駐在で出産する知り合いが、シンガポールの生活費の高さにため息をついていたらしい。 若い夫婦二人住まいのアパートで家賃が月40万円。食費が20万円。共働きなので出産を機にサポートしてもらうメイドさんが20万円。 何か生活用品を購入したりする前にベースで月80万円かかる。普通に生活しようと思ったらまあ最低でも100万円が必要。要するに年収1000万円以下では住めない国シンガポールだ。 日本は年々、平均年収が下がり続け、シンガポールなんか遥か遠く先の国だが、最近ではタイやマレーシアの現地人件費と肩を並べるようになってきた。参院選の争点の一つが「給料を上げる」になっているが、このまま行けば間違いなく近いうちにタイ、マレーシアには抜かれ、ASEAN各国の中でも「人件費の安い国、日本」として海外案件の外注先になるだろう。 それでもITやAIなど数学系を出たエンジニアは別格だ。世界中から需要があるし、先日我が家に来たIT社長も 「新卒に毛が生えた程度でもAI系だと年収5000万円言ってくる。そこをなんとか4000万円でお願い!」 って頭下げて採用するレベルと言っていた。 彼自身も4歳の長女には自ら数学を教え、すでに小学校5年生まで修了したと言っていた。 どの領域に進むかで天と地ほども生活が変わってくる時代になってきた。
昨日はカミさんの誕生日だったので、仕事が終わってから予約しておいた焼肉屋に出かけた。 いつもより少しいい肉を焼きながら話したのは 「どうやって長生きしないようにするか」 もちろん元気ならいいのだけど、寝たきりになったり、ボケてしまってからひたすら生き永らえるのは嫌だ。ただただ身内に迷惑をかけるだけなのにボケてしまったらそれもわからない。とは言え、今の法律では積極的に逝かせてもらうことができない。 オイラの母親は目を閉じるまで全くボケず、極めて聰明なままだった。その母親は直前まで「死にたくない。先生、どうしたら死なないですか?」と担当医に聞いていたくらい生に執着していた。寂しがり屋だったから家族を残して一人で逝くことが不安でたまらなかったんだろう。ボケてなければそんな感情も湧くのだろうか。 いったいどうしたらいいんだろう、などと言いながら、いつの間にか 「うん、美味いな。次これ行くかね」 などと我々は哲学から本能へと突き進んでいったのだった。
昨日の午後、KLからBKKに戻ってきた。久しぶりに会ったカブから熱烈歓迎を受けてそれはそれはうれしかった。 夜は日本からやって来たIT長者武井さんと我が家で夕食会。カミさんがマレーシアカレー、肉骨茶、広東風餡かけ焼きそばなどを料理してアジアンナイトを楽しんだ。 コロナの巣篭もりでけっこうオンラインショップで買い物しちゃった、という話の中で、武井さんが 「先日、ルイヴィトンから電話があって『武井様はステータスに到達しました』と、いろんなVIPベネフィットを説明された」 と教えてくれた。 ルイヴィトンの品物を買いたい場合はルイヴィトンのある国なら自宅やホテルまでリムジンでお迎えにあがる買い物は店頭品ではなく、VIP用の特別品オーダーメイドが可能ファッションショー用などに製造した一品ものの特別提供各国でのルイヴィトンVIPラウンジの利用やパーティーの招待 などなど様々なVIP特典があるらしい。VIP顧客は、ルイヴィトンの「お店」で売っている商品は「回転寿司のレールに乗っている大量生産商品」だから手は出さない。全て直接オーダーメイドするらしい(笑)。 武井さんのバッグもそこにぶら下がっているレモンの形をしたポシェットもオーダーメイドだと言っていた。 どのくらい買うとVIP認定されるの?って訊いたら 「年間2,000万円以上」 と言っていた。 「カブを撮ってあげるよ」 とルイヴィトンのバッグから取り出したライカのカメラは「白黒写真しか撮れない特注品」で 「昨日知り合いから限定品だからって勧められてカードで買ったから値段は知らない」 と呑気なことを言っていたが、たぶん2~300万円だろうとのことだった。 武井さんに撮ってもらったカブはとても高そうに見えた。
昨日はセントラルマーケットやマスジットジャメ、チャイナタウンなどKLの旧市街を歩こうと出かけたのだが、駐車できる場所が見つからず、なんかもういーや、という気持ちになって帰宅。 少し仕事をしてから長くKLにいる居住者仲間と飲み。 真ん中にいる柏村くんはまだ若いけど、他の連中は最初に会ったのがみんな30代だからね。ほぼ30年来の付き合いってことですよ。ずいぶん長くマレーシアにいるよね。やっぱり住みやすいもんね、マレーシア。 今日は、昨日のリベンジで、セントラルマーケットのオープンする1時間半前、8時半に自宅を出てKLに向かう。案の定、パーキングはガラガラでうれしい。スマホをジンバルにセットして、それから12時まで界隈を歩き回った。 やっぱりクアラルンプールの街って美しいなぁ、と思いながら歩いたよ。 さて、オイラは明日バンコクに戻ります!
さすがに2年半の間、いろいろと溜めてあったものを少しずつでも元に戻そうとすると精神的にも体力的にも疲労がハンパない。 まずマレーシアはどこへ行くにも車を運転しなくてはならない。久しぶりの運転は本当に疲れる。今朝は往復3時間かけて久しぶりのクライアントへ顔を出し、午後はカンパニーセクレタリーで2020年初めから溜まった書類へのサインでなんと3時間。途中で自分でしているサインが大きくなったり小さくなったりして気持ち悪くなった。 明朝もまたかなり遠方のクライアントへ通勤渋滞の中向かうのかと思うと今から気が重い。 そしてまるで変わらないマレーシア人たちの客対応のダルさ。ショッピングセンターではキャッシャーに列ができていてもカウンターを増やすこともなく、ほっかむりをしたおばちゃん店員たちがスマホをいじったりお喋りしたりしてる。 今回いろんなところで客対応を受けたが、オイラがマレーシアに来た30年前と少しも変わっていないのを痛感した。きっと後30年経っても変わらないんだろうと確信した(笑)。
久しぶりにクアラルンプールを車で取引先に向かいながら、 「マレーシアが自分のビジネスマンとしての原点」 なんだと思い当たった。日本で就職してガムシャラに動いていた自分は「仕事」という意識はあったが「ビジネス」という認識は希薄だったと思う。 31歳でマレーシアに渡り、ゼロからビジネスを作っていくという経験を初めてしたわけだ。バンコクではすでにある程度の既存ビジネスがあり、それをどう維持していくか、拡大していくかというフェーズになったが、あの頃のマレーシアは本当に何もなかった。 昨日フェデラルハイウェイを走りながら、急にあの時の「感じ」に包まれてそれがわかった。 不安と緊張とドキドキとワクワクで張り裂けそうになっていた。 思い出せて良かった。