Jalan Jalan

マレーシア、タイから発信するアジアお気楽情報サイト

Author: Jun

のぼるちゃん降臨

2週間前に書いた 「貫き通すこと」 という「ひと言」の登場人物だった「のぼるちゃん」から 「ありがとうございます。その節は失礼いたしました。おかげさまで令和三年度九州場所優勝文士になりました。」 と、ツッコミが入っていた。 もう10年以上も交信のなかった本物ののぼるちゃんがJalanJalanしに来てくれたなんて、ネットってすごいね(笑)。 そんなのぼるちゃんは昔撮ったPVを編集中らしい。 これが、昔のタイの町並みや洪水被害の様子なんかも織り交ぜてあって面白いから見てみて。

西荻の実家

親父が亡くなってから介護を離れた弟は、全ての片付けをそのままにして3日間の完全休養を取った。 その後、掃除と家の修繕、ペンキ塗り、食器棚、本棚の掃除と整頓、祭壇の準備など10日間ほど体に湿布を貼りまくりながら完了させたらしい。 そんなことで今日はおふくろのダンスの友人たち(おふくろは80過ぎまでフォークダンスをやっていた)が弔問に来てくれて祭壇に手を合わせてくださったらしい。 祭壇には親父とおふくろそれぞれの遺影が笑顔で並べられていた。 ほんとに何から何まで一人でご苦労様でした。 欧州では出入国制限や国内でのコロナ対策制限がほぼ撤廃されてきているようだし、マレーシアもタイもだいぶ緩んできた。日本人はとても怖がる国民だから、緩和のタイミングは遅れるだろうけど世界の流れには逆らえないので早晩規制も緩んでいくだろう。 早く帰りたい。

まだ鞭打つよw

週末にカミさんとビールを飲みに近所のガーデンカフェまで。 もうコロナは終わったと思っている欧米人たちは、集まって飲むので店はどこも盛況だ。 最近はリモートワークが普及して、会社員でも副業は当たり前の時代に入り、「副業禁止」なんて社則がある会社にはいい人材が集まらなくなっているなんて話をカミさんとしていたら、 「私も何かやろう」 とカミさんが言い出した。 昨年末からYoutubeチャンネルを始めてその撮影やら編集作業やらでけっこう時間を取られている状況ではある。だけど、ここしばらく、カミさんとメタバースやNFT、暗号資産の話で盛り上がっていることもあり、クリエーターとして新時代の始まりに何かをやんなきゃね、という話になったのだ。 親父が85~6歳まで現役バリバリで仕事をしていながら、おふくろの他界や自身の外出制限など社会との繋がりや生きる張り合いを失っていくに連れ、嘘のようにあっと言う間に衰弱していったのを目の当たりにしたこともある。 「やっぱり人間、安穏としちゃダメだね。老体に鞭打ち続けないとw」 「そうだよな」 と話し合ったのだ。 別にメタバースやNFTや暗号資産が流行ろうが廃れようがそんなことはどうでもいい。とにかくやろうと言うことだ(笑)。 そこからもしかしたら何か生まれるかも知れない。そんな何かをこれからもカミさんと共有していきたい。

誤審やめろ

今回の五輪でもハーフパイプの平野歩夢の2回目の採点やスノボー大回転での竹内智香の失格など誤審が多発している。竹内智香の場合は相手のドイツ選手が影響を否定しているものの、「審判員8人のうち6人がドイツ人だからノーチャンス」と竹内本人もフェアなジャッジが行われないことを理解している。審判の過半数が一国で占められているなんて国際大会とは思えない話で驚いた。 スキージャンプの高梨沙羅など5人の有力選手が失格になった件もそうだが、スポーツの大きな大会では誤審が水をさすケースが多すぎる。 「ルールはあっても人間が判断する以上、感情が入り、フェアにはならない」 と開き直るが、その前提に甘えず審判も選手と同じくらい心身ともに鍛錬をするべきだ。 まあとは言え、国ぐるみでドーピングするロシアみたいなメンタリティが存在する以上、それも無理か。 となれば、明確に白黒が出る画像、映像判定を基準にしたAI審判団の導入に期待したい。

Jun Yamamori

超久しぶりに「孤独のアジアングルメ」シリーズをアップしたよ(笑)。今回はスクムビット、プロンポンはソイ26にある人気バーミー屋さん。昼時は並ばないといけないというタイでは珍しい創業70年という老舗だ。テキパキとした店員の動きを見ているだけで楽しい。そして絶妙な麺とスープのハーモニー。デリバリーの列もできてしまうという理由がわかるよ。

セトリ(笑)

ピアノの練習は続けているよ。 2年前にキーボードを購入して練習したリストと状況は以下の通り。 Piano man Billy Joel だいたいできるようになった。反復練習中。 紅蓮華 LiSA 一旦できるようになったけど復習が必要。 常套句 Mr. Children だいたいできるようになった。反復練習中。 戦場のメリークリスマス 坂本龍一 難しくてなかなか進まない。まだ10%くらい。 丸の内サディスティック 椎名林檎 だいたいできるようになった。反復練習中。 いっそセレナーデ 井上陽水 なかなか進まない。まだ30%くらい。 A Thousand Miles Vanessa Carlton だいたいできるようになった。反復練習中。 Imagine John Lennon あともう少し。90%くらい。 青春の影 チューリップ だいたいできるようになった。反復練習中。 帰ろう 藤井風 前奏の練習中。 なんでもないよ、 マカロニえんぴつ まだ原曲を聴いている段階。 希望の轍 サザンオールスターズ なかなか進まない。前奏の練習中。 なんかいつの間にか野望だけは膨らんでしまっているじゃねーか(笑)。 メタバースのライブ会場でライブできるようになったら聴きに来ておくれよ。

挑戦こそ価値

あれだけ広いスケートリンクの中の数ミリの氷穴にハマって羽生が冒頭から脱落とか 高梨がジャンプ前にOKだったスーツがジャンプ後に規定違反で失格とか なんか力を十分出せていただけにもったいないというか、不運というか、残念だね。 でも、羽生のフリーの演技では、成功できなかったものの「前人未到」の4回転アクセルに果敢に挑戦し、清々しい気持ちになりました。 僕は人は、 「命を与えられたこと自体がすごいこと」 だと思っていて、それは 「踏み出すために与えられた命」 だと思っているので、難しいとわかっていることでも挑戦するべきだと思います。 「失敗をしないために生きる」なんてもったいないもの。

デジタルからアナログへ

大勢にお越しいただくお通夜や告別式を開いたわけではないけれど、オンラインで友人や会社関係、また古くからの知り合いからもとても多くのメッセージをいただいて本当にありがたいことです。 普段は特にやり取りのない関係でも、こんな機会に安否や近況を報告し合うことができて、これはこれでうれしいことだよね。実際に会うことはできなくても、どこかで繋がっているんだなと実感ができて。 弟からは親父の知り合いなどからのメッセージが転送されてきて 「ああ、香港時代にこんな方いらしたなぁ」 と昔を懐かしんだりして。 特にこういうファミリーヒストリーはデジカメで撮ってどこかに保存しておいても、もう本人がいなくなれば誰もアクセスできないし、昔の赤茶けた写真のように古いアルバムから出てくるということもないので、 「とにかく『紙焼き』をしておこう」 と山森家では 「デジカメ写真のプリント」プロジェクトが始まった。 今のうちに確認して「これを残そう」というのを紙焼きしておかないと、それらの記憶はこの世からいつか抹消されてしまう。 親父もお袋も亡くなったが、こうして記憶を辿れる証拠を残しておくのだ。

最期の言葉

火葬も終わったよ、と弟から連絡があった。 3年前に他界した母をずっと介護していたのも、その後親父の身の回り全ての介護をしていたのも弟だ。両親それぞれに栄養や好物を考えて朝昼晩の食事を作り、散歩に同行し、病院に連れて行き、武蔵野公園で梅や桜のお花見をし、たまには車で横浜中華街に連れて行ったり、箱根板橋にある別宅まで行って箱根の温泉に入れたり、ひたすら二人に寄り添う生活をしてくれていた。 3日ほど前に弟が、自分でトイレもできなくなった親父をベッドから起こして風呂に入れる動画を送ってきたが、これが1日何回もあるのだと思うと、もうひたすら頭が下がった。 動画の中で親父は弟に悪態をついていた。 もうまともな意識があるのかどうかもわからない中で「痛いな、このヤロウ」と怒っていた。 親父が亡くなる前日の夜、風呂場に連れて行く途中で立て掛けてあったものが親父の足の脛に当たり、だいぶ口汚く弟を叱ったらしい。 それでもなんとか風呂場に行き、体を洗ってベッドに戻って寝かせ、掛け布団を全部かけてあげたときに、親父がひと言、 「ありがとう」 と言ったらしい。 結局それが親父の最期の言葉になった。 弟はすでにもう長くないと感じていたらしく 「その前の罵りが親父の最期の言葉だったら、これだけ頑張ってきてほんとに俺はたまらなかったなぁ」 と辛かった気持ちと安堵の気持ちを打ち明けてくれた。 弟は風呂場までの歩行を軽減しようと、ベッド脇にシャワー室を自分一人で作っていた。 「今朝、お湯が出て使えるようになったんだけど、一度も使わずに逝っちゃったね」 とシャワー室の写真を僕に見せながら言った。 介護生活が終わるといきなり気が抜けたようになってしまうと聞く。 「あ、もう昼飯作らなくていいんだと思い当たって、高井戸警察署の帰りにバーミヤンであんかけ焼きそばをテイクアウトしてきたよ」 と寂しいことを言うので 「今度戻ったら悠の食いたいもの食いに行こうね」 と励ましてやると 「中華街の『同發』が昔ながらの香港の味で美味い。楽しみだな」 そう言いながら弟は久しぶりに笑った。

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