週末にハルのガールフレンドが娘のコンドにお泊りに来た。そのお泊まり訪問の前に6歳の男女が交わしたLINEを見てくれよ。 前の週から気持ちが盛り上がり、当日には 「Today is the day」(とうとう今日だね!)「Yea. I can’t wait to see you」(うん、もう会うのが待ちどうしいよ)「Me either」(私も!) どうすか、これ(笑)。 そして2人で手を繋いで歩いているところに何にもわからないゲンが近づいていくとハルは手でゲンを追っ払ってたからね(笑)。 みんなの小学校1年生の夏ってどうよ。
Author: Jun
今日は午前10時からクライアントへのプレゼンテーション。これが久々の長丁場で3時間に及んだ。 途中でクライアントの日本人社長が自分の部下の日本人担当者に厳しく詰問する場面がけっこうあって気まずかった。それがオイラからの改善提案を受けるたびに 「その辺はウチはどうなってるんだ。ちゃんとやっているのか。」 「えっとですね・・・」 というやり取りの繰り返し。 「これ、せっかく山森さんたちからいろいろ提案もらってもウチがちゃんと考えてなきゃどうしようもないだろう!」 という叱責に流れ込んでいく。会議に参加している人数は両社で10人程度。責められる日本人担当者もけっこうしんどい場面だ。 それからしばらくの間、この社長が強い口調で問いかけるたびにこの担当者の回線の具合が悪くなり、 「あれ、今ちょっと聞こえませんでした」 で逃れるようになる。 こんなコント見せられたら笑うわwと思いながらマイクをオフにして笑ったが、同時に自宅から参加していた娘はオフにし遅れて笑い声が漏れていた。 こんなんあかんよ(笑)。
子供の頃の10年と違って今の年齢での10年はいかに早いかを体感で知っているので今からカブロスを想像して悲しい日々を送っているオイラです。 さて、いよいよ月末になるけれどロックダウンの解除はどうなるのだろう。シンガポールやマレーシアでも条件付きで外食が解禁されたようだし、バンコクでもそろそろ飯を食いに出かけたい。 アプリで簡単に食事をデリバリーできるサービスを使えば使うほどその便利さと裏腹にわざわざ出かけて店内で出来立てを食べる喜びを求めるようになる。 LazadaやAmazonでネット購入をすればするほどオンラインだけでは得られないものがあることを知り、実際に店頭で現物を見る安心感と楽しさを求めるようになる。 リモートで仕事をする時間が長くなれば長くなるほど賄いきれない領域を埋め合わせるためにまたスタッフ全員で顔を合わせて同じ空気を吸いたいと思う。 デジタルへの大きな流れは止められないし、稟議のハンコが復活することはないけれど、小さく小さく揺り戻しを繰り返しながら時代は進んでいくんだろうなと毎日変わらない部屋の窓からの景色を見ながらぼんやりと思った。
好きなラーメンに七星の鳥そばがあって、ロックダウンでしばらく食べに行けてない。そこで昨日は昼飯にグラブで鳥そばをデリバることにした。 20分ほどで届いた鳥そばには 奥の方まで麺をひっくり返してみたけれど鶏肉も肉ボールも入っていなかった。 カミさんは「あの肉が食べたかった」と言うので届いたラーメンには手を付けずにそのままパッキングを戻すとカミさんとバイク2ケツでトンローの七星まで取り替えに行くことにした。 スクムビット通り沿いに開いているその店では店先の屋台で店員が1人でラーメンを作っていた。スマホの注文画面と届いたラーメンを見せて鶏肉が乗っていないことを説明すると我々が持っていった冷めて伸びきったラーメンに具を乗せようとしたので(笑)、 「あかん、あかん、これ麺が伸びてスープも冷めちゃってるので替えて」 と頼むと「おお、そうか」と新しい麺を茹でてくれた。 そうそう、これこれ。自宅に戻って麺をずずずずーっと啜るといつもの味だった。 デリバリーを頼んだ意味。
マレーシアの専門深掘動画、ハジメちゃんねる。今回は新型コロナの「奇跡の治療薬」と話題になっているイベルメクチン。マレーシアでの重篤副作用事例やインドネシアでの感染改善事例。まだまだ世界の評価は定まらないけど、これは人類の希望になるのか? イベルメクチンっていったいどんな薬なの?
ウチの親父は姉と弟の3兄弟だったが、30年ほど前から縁を切っていた。いろいろなことを端折ってものすごく簡単に言うと、代々の土地である実家の相続で揉めたからだ。 昨日実家で親父の介護をしている弟に祖父母の入るお寺から納骨管理の件で電話があった。親父は高齢で細かい手続きや判断が利かないこともあり、弟がお寺とのやり取りを進める上で、長く音信不通だった親父の姉弟に相談をする必要があった。姉(我々からすると叔母に当たる)は、10年ほど前にすでに他界しているので弟(我々からすると叔父に当たる)に電話を入れた。叔父と弟は長い不通の年月を遡りながらお互いを労い、懐かしんだ。 叔父は兄である我々の親父から自分のことを悪く伝えられているだろうと思い、我々にも連絡することができなかったと言った。確かに弁護士を立てて争うほど叔母や叔父と敵対していたし、彼らのことを激しく罵るようなこともあったかも知れない。 叔父との会話の途中、弟が 「親父さんはもうだいぶボケてるからね、昔の土地がどうだったとか、裁判がどうとかって話を全然覚えていないって言うんだよ」 と叔父に伝え、親父と電話を代わった。受話器の向こうで身構えて息を飲んでいる叔父の鼓動が伝わるようだ。 電話を代わった親父が 「◯◯かい? ほんとに申し訳ないねぇ。私も90になっていろんなことがちゃんとできなくてねぇ・・。ほんとにすみませんねぇ」 と言うと、叔父が 「いや、申し訳ないなんて言わないで。何も申し訳ないことなんかないんだから、△△ちゃん」 と泣きそうな声で言った。何か全てが氷解していく瞬間で、オイラも胸が熱くなった。 長い年月という時間なのか、それとも認知症状なのか、それは自分にはよくわからなかったが、人の心や愛憎というのは変わるものなのだな。 オイラは小学生から中学生になる頃、この叔父からビートルズを教わった。今日は久しぶりにビートルズを聴いてみようか。