4連休の最終日。とは言え、マレーシアは連休ではないのでクライアントやスタッフとのやり取りは続く。昨日はカミさんがハゲに会うのに自転車が欲しいと購入したママチャリがLazadaから届いた。分解されたまま。しかも完成図も組立手順も何も入っていない。これを遥と二人で「あ、これ逆だった。やり直しだ」などと言いながら苦労して組み立てる。 車体には「チャリンコ」なんて入っているし、とにかく見るからにクオリティが低い。 値段は日本なら十分ちゃんとしたママチャリが買える金額なんだけど、タイにはちゃんと自転車を作れるメーカーがないのだ。これは中国製かも知れないけど。 とにかくLazadaは何でも目を疑うほど安くて人気なんだけど、その代わりちゃんとした品質の物を購入するのが難しい。 この自転車もいつまでもつのか、とりあえず様子見だ。
Author: Jun
日本はGW入ってるけど、タイも今日から4連休のプチGW。 今日はカブの3度目のワクチン注射が終わり、1週間ほど待てば外歩きの散歩ができるようになった。オイラと遥は内蔵スピーカーから音の出なくなった電子ピアノを抱えてセントラルワールドの楽器店へ。その場で直してくれたらいいな、と思っていたんだけどやっぱり来週までお預けに。「連休中にどうしても弾きたいから今日中にだめ?」と粘ってみたが「無理」と言われて撤退した。 せっかくセントラルワールドに昼時に来たんだからスシローに行ってみるか、と2人で7階のレストランフロアに行き、入口の係に「2名です」とVサインを出したら「えーと、3時間待ちですがよろしいでしょうか?」と言われ、即刻撤退した。別にスシローがどうしても食いたいわけじゃなくて昼飯が食いたいのだ。 結局ピザとパスタに変更し、食後に少しぶらついてから帰宅した。 帰宅するとようやくネット回線業者が来て、やっとWifiが繋がった。ここで待つのが嫌だったので、引越しの1ヶ月前から引越し日当日ピンポイントで設定に来てもらえるように手配していたのに、それでも1週間遅れた。まあ、タイやマレーシアではこの程度は当たり前なので仕方がないが、こういうところは日本が羨ましい。 さて、4連休とは言え、非常事態宣言で外食もできないから引き篭もりながらダラダラと仕事する感じですかね。
姓名判断、姓名占い、というのを聞いたときに「同姓同名の人は同じ運命かい」って突っ込んだ人は多いだろう。 そもそもオイラの「山森淳」という同姓同名はそんなにいないからググればどんな人でどんな人生か垣間見れるかも知れない。と調べてみたら、 北海道の神恵内(かもえない)村という日本海に面した小さな村の消防団の班長として30年勤続表彰を受けていた。なんかこの地道さ、人の役に立つという人生はおよそオイラのそれとはかけ離れている。姓名によって人生が変わるということはないのだ。 と思いながらFacebookで「山森淳」で検索してみると というおどけた山森淳を発見し、「うーん、あながち・・・」と自分の前言撤回せざるを得ない、と揺らぐのであった。(しかも「いいね👍」の数12ってスベってるし・・)
1学年15組っていうマンモス小学校というのも驚いたけど、入学式もオンラインというのも新鮮だった。体育館のステージの上で校長先生が一人で 「入学おめでとう・・・」 とお話しするモニターをみんなで囲んで観ている。正面に座ったハルキは少し神妙な顔で新しいイベントにワクワクしているようだった。 それが終わると各クラスの担任の先生が自己紹介をする。海外日本人学校の先生はみんな若いんだけど、バンコク校もフレッシュな先生ばかり。 もうそれはNHK歌のお姉さん、お兄さんで、「おかあさんといっしょ特番」を観ているようだった。 オイラの小学校入学は今でも覚えているけど、あの頃の先生っておじいさんやおばあさんしかいなかったよね。杉並区立松庵小学校は1学年3組だったけど、担任はおじいさん、おじいさん、おばあさんだったからな。こんな風にお人形持って踊るなんてとても考えられない世界だったよ。 ハルキも早く学校で友達をたくさん作って欲しいな。小学校の友達って、いまだにフルネームでみんな覚えているもんね。その名前でググって遊ぶのってけっこう楽しいよね(笑)。
起床とともに身体中にバキバキバキと痛みが走った。特にふくらはぎと脚の付け根が痛くてそろそろとしか歩けない。引っ越し荷物を運んだり、整理したりでこんなになるほど歳をとったか?と思ったが、カミさんも同様の痛みを感じてきたので痛みの謎解きをしてみると新居のフロアに原因があることがわかった。オーナーがフロアをテッカテカ、ツッルツルに磨き込んでいたのでとても滑りやすい。それで滑らないように知らないうちに力が入っていたようなのだ。しばらくすればコーティングも馴染むんだろうが、これはしばらく辛い。 これから正式に同居することになったモチとカブも一応よろしくな、と挨拶を交わしていた。 カブはまだサークルから自由に出ることができないが、もうしばらくしてトイレトレーニングが完了したら家の中を自由に動き回る。お互いが不意に出くわしたときにはどう対処するんだろうね。。 さて、バンコクは正式に今日から9日までコロナ制限が復活したので仕事もそれまでリモートで何とか頑張ります。
ハルキが日本人学校入学、ゲンキが4歳の誕生日、我が家が引っ越し、と今週末はイベントが重なってそれぞれがそれぞれのお世話で手一杯という状況。日本人学校は早速登校初日(26日)からリモート授業になり、学校から生徒一人一人にタブレットが配布されるらしい。ハルのクラスは「1年15組」流石に世界一でかい日本人学校だけあるね。15組って。。それにしてもクラスの友達とも会えず、桜をバックにした校庭で近所の写真屋さんが黒い布に頭を入れて集合写真を撮るってのももう遠い昔のことになっちまうのかね。。 オイラの方は明日から同居メンバーが変わる。現在のカミさんとカブの他に息子の遥と飼い猫のモチが増える。犬と猫の同居っていうのも生まれて初めての体験だ。みんな仲良くやってくれるだろうか。 さて、今日は夜遅くまで残っている食器や衣類などの段ボール詰めをすることになりそう。明朝は9時から業者がやってきてスタートです!
ウチの親父は90歳で、すでにビジネスからは引退しているが、ほんの数年前まで自分の貿易会社で中国、マレーシア、オーストラリア、ギリシャなどから製品を輸入する貿易商を営んでいた。 定年前に独立して貿易会社を始めるまでは繊維系の専門商社や百貨店のバイヤーとして香港や北京、上海に長く駐在していた。実家の本棚にはありとあらゆる中国と香港の書籍が並んでいて中国とのビジネスではテレビで解説したりするほどだった。自分の人生のほぼ全てで中国と香港に関わってきた人である。 そして中国に騙され続けてきた人でもある。 どんなに現地に通って、現場の中国人たちと関係を築いて、時間をかけて商談をし、商品を確認して発注しても、東京港に届いた品物は偽物だったり、腐っていたりした。 「まだあと50年は中国と本当の意味で仕事ができるようにはならないだろう」 現役時代の親父の口癖だが、あれからもう50年近く経っている。それを目の前で見聞きしてきたオイラは自分が独立しても中国とのビジネスには極めて慎重でいる。少なくとも自分の判断で中国に拠点を出すことはしない。 ここしばらく急速に中国の脅威が増し、米中対立も先鋭化している。中国の拠点で開発業務を行なっていたLINEが、「ユーザー情報が中国内で閲覧できる状況だった」として日本国内で大変なバッシングにあっている。 その余波もあって中国の拠点や提携会社を持つ日本の会社は現地開発ができにくい事態に陥っている。そしてチャイナリクスの受け皿は東南アジア。これを歴史上、なんどもなんども繰り返している。 リソースも豊富で人口も世界一。魅力的な市場としてついつい進出したくなるが、それはそれは難しい市場なのだ。
仕事では多大な成果を出しているギャン泣き部長は、コロナで急遽通園できなくなった幼稚園の、初めてのオンライン授業を受けた。 コロナ状況下での事業方針策定や収益計算などやらなければいけないことは山ほどあるが、幼稚園の先生の言うことは聞かなければならないのが部長のツライところである。