今日は朝のオンライン会議を終えると急いでゲンの幼稚園へ走る。年に1度、園児たちがクリスマスパフォーマンスを親御さんたちに披露する会。 そしていきなり出てきたゲンが、オープニングスピーチをした。たぶんダメだと医者に言われながら緊急摘出手術で産まれてきた小さい小さいあの赤ちゃんが。 なんか、なんか、始まる前から泣けた。。。
週末、土日月曜と3連休だった。土曜日から娘が一時帰国することになったので、土曜日の夜から1週間預かることになり、毎日賑やか。ハゲがやってくる前に動画を一本撮りに行こうと、開通したばかりのMRTピンクラインに乗りに行ってきた。タイの鉄道網は進化を続けているが、それぞれのラインを色で呼ぶのでわかりやすく可愛い。現在もオレンジライン、ブラウンライン、パープルラインなどが開通を待っている。ただ乗るだけじゃ面白くないので、開通しなければ行くこともなかった巨大市場「ミンブリー市場」を歩いてきた。 その動画は近々「Bangkok Walk」Youtubeチャンネルにアップするので楽しんでください。昨日はじじいバンドの練習。日本組3人はスタジオに集まり、オイラだけオンライン接続。こちらも進化し続けている。
クリスマスソングを流しながら仕事をする季節になりました。食後の映画鑑賞タイムは、ネトフリ、ディズニープラス、Huluで「クリスマス」と検索をかけてクリスマス映画だけを観て、生活全体をクリスマスにまみれさせます。雪の降り積もる映像の横で孫たちが「プール入る!」なんていうアジアあるある光景にも全然違和感を感じなくなったので、何かしら自分で「季節感」を作り出していかないと人生が面白くないんだよね。 ウチはなんだかんだ人生の半分以上をマレーシアとタイで暮らしてきたわけだけど、先週末にカミさんとそんな人生はどうだったか?とガーデンカフェでビールを飲みながら話したんだよね。 まずオイラやカミさんのようにアバウトな人間には「なんでもあり」が幸せだった。細くルールが決まっていて、全員がきちんとそのルールに従って生活している日本では辛い。 そして、マレーシアもタイも日本ほど「他人を責めない」んだよね。いろいろやらかす夫婦だから「他人から責められ」たり「責任の所在を明らかにさせられ」たりする暮らしは辛い。 それから日本人は世界一「不安がり」で、将来の不安に囚われがち。カミさんも実家に帰るたびに「あんたたち、将来のことはどう考えてるの?」なんて義姉から詰め寄られたりする。我々も不安がないわけじゃないけど、昨日NHKで日本の大学生が「老後が不安だから投資教室に来た」って話すシーンを見て、こんな若い頃から不安一杯なんて可哀想、と思う。その点、マレーシアやタイの人々はそんなことお構いなし。今を楽しむ。だから我々も今日を楽しんで暮らしてきた。 そういう点では、本当に「ストレスのない」ありがたい30年間だったんじゃないか、という結論に至った。
今日はタイは祝日で、カミさんはブリッジで出かけているので一人でキーボード練習。 最近、Youtubeでジャズピアノをひたすら見てて、弾けるようにならないかなぁーと夢見てる。だって、ちょっとチャラララララ〜ンで弾けたら気持ちいいじゃない?でもそもそもジャズピアノ初心者講座動画でもちゃんと理論の説明するからめちゃ難しいんだよ(笑)。それでいろいろあるジャズピアノ講座チャンネルの中でも 「なるべく挫折しないジャズピアノ講座」 っていうのを見てる。それでもキツいけどな。 昔、KLのショッピングセンターにギター担いで行って「流し」したことあるけど、いつかキーボード背負ってピアノ流しジジイになりたい。 ジジイ版ハラミちゃん。
ウチの会社でタイの女子高生の月のお小遣いの平均を調べたところ、3,300バーツ=13,200円だった。一方で、日本の女子高生の平均をネットで調べたら、2023年は2022年から632円ダウンして、4,950円。確かに日本の高校生を持つくらいの家庭で毎月娘の小遣いで10,000円は家計に占める割合がでかいかも知れない。 日本は他に欲しいものがあると買ってもらえるのかな?確かにバンコクではマクドナルドとか喫茶店で高校生らしきがグループでお茶飲みながら勉強してたりするけど、みんなそういった「会議費/接待費」を持っているんだな。 確かに月5,000円、1日約200円じゃ、友だちとお茶飲んだり、買い物したりは厳しいよな。なんか、こういうことも日本の「パパ活」の背景になっているのかも知れんな。
911同時多発テロをどういう状況で知ったか? とカミさんと話していて、オイラは 「マレーシアPJ、ダマンサラキムの自宅リビングのテレビで生中継を見た」 と言った。その時の光景をまざまざと覚えていて、その映像の衝撃に声を出したのを覚えている、と言った。その光景は今でも鮮明に頭の中に蘇るのだから。 ところがカミさんが異議を唱えた。 「私は、ジャランガシンの自宅でニュースでそれを知った。家が違う」 と。 いや、そんな筈はない。これだけハッキリと思い出せる場面なのに。 しかし、同時多発テロが起こった2001年、我々がダマンサラキムではなく、ジャランガシンの一軒家に住んでいたのは事実だ。 じゃあ、オイラのこの脳内にあるこの記憶はなんなのだ。夢なのか。 では自分が自分の人生を振り返る記憶の中で真実はどのくらいなのか。夢はどのくらいなのか。 そう考えると、現実は今現在のことだけで、過去はもはや夢だろうと現実だろうとどうでもいいことなのか。だんだん、夢と現実の境界があやふやになっていく。
バンコク日本人学校って世界一規模の大きい日本人学校で、生徒数が3,000人近くいるんだよ。ハルの学年も17クラスもあるしね。そして、その倍の数の親が来るわけだから運動会って言っても大変なんだわ。 親の応援は自分の子供や孫の学年の演技に限り、それ以外は校舎の裏で待機。運動会なんて他の学年の演技や競争も楽しみだけど、「入替性」だから一切観ることができない。自分の子供の学年の演技すら人垣の後ろになればほとんど見られないんだから、しょうがない。そのくらい規模がでかい。 徒競走や運動会のハイライト、リレーなんかも楽しみだったんだけど、とてもそんな個人競技に時間を充てることはできない。なんせ、3,000人近くいるわけだから。 だからハルの出番も踊りと棒持ち競争の二つだけ。 セキュリティの人員もすごい数だったし、先生たちも親御さんという群衆の羊飼いのようで大変そうだった。ここまででかいともうプロのイベンターが仕切らないとできないレベルだな。