Jalan Jalan

マレーシア、タイから発信するアジアお気楽情報サイト

JalanJalanの撮ったアジア

日本滞在中、夜9時半ごろに立ち寄った丸の内のスタバで大勢の若者が仕事をしている光景に驚いた。 こんな光景が見られるのは日本だけだろうと思い、この動画をタイとマレーシアのスタッフが参加しているグループLINEにアップした。 返ってきたレスは 「Wow」 だった。

バンコク戻り

昨夕、3週間ぶりにバンコクに戻ってきた。帰宅後1時間ほどしてカミさんは、PCR陽性反応が出て姪っ子家族と一緒に帰国できなかった10歳の長男くんの同伴で日本に向かった。1週間ほど日本に滞在してまたバンコクに戻ってくるが、オイラはその前にマレーシア3週間なのでここも入れ違いになってしまった。 ところで「時効切れ」になっていた療養費申請、出発の前の日に「却下されました」と電話があった。この人たちとは話し合いを続けても時間の無駄だな、と諦めてすぐに受け入れた。生活保護制度も実際にはほとんど却下されると聞いたことがあるけど、政治家がご立派な法制度を作っても、行政にきちんと運用させられないんだったら絵に描いた餅だからね。 さて、久しぶりにバンコクの自宅で目覚め、カブの散歩をして、朝ご飯を食べた。一番安心するルーティーンである。

北国の夏祭り

日本滞在最後のランチは弟と東村山まで焼肉を食いに行き、夜は弟が作ってくれたうな丼を食べた。 テレビでは長岡の花火大会をやっていたので部屋を暗くして観た。LINEグループにいる元会社の同期の一人が長岡に住んでいるので、 「三尺玉でかいねー!」 などとリアルタイムで盛り上がりながら。 同じグループの同期には青森に住んでいる人もいて、「今、3年ぶりのねぶた祭りから帰ってきた」と伝えてきた。 「夏祭りは北国だよね〜」 とまた盛り上がる。 オイラも青森、新潟に行ってみたい。いつでも行けると思っていた若い頃と違うので、行きたいと思ったら行動に移さないときっと実現しないだろう。 長岡花火、家族にも見せてやりたい。 さて、一時帰国も無事3週間が経ちました。明日の朝、羽田に向かい、バンコクに帰ります!

健康診断の結果

昨夜、夢うつつで首筋を這い回る何かがGだったことがわかり、深夜3時に一人でパニックに陥っていたオイラです。 一時帰国中に3回ほど通院しながら行った健康診断の結果を今朝聞きに行ってきた。ありがたいことに薬を飲んでいる血圧や尿酸値の他、全ての数値が正常範囲内で医師からも「問題ないですね、いいですね」と診断され、ホッとしている。 食生活が大事だとしたら、コロナ時代のリモートワークのせいで昼も夜も外食がほとんどなくなり、カミさんが苦労して考えている毎食のバランスの取れたメニューのお陰だろう。それからカブのお陰でウォーキング中にジョギングが入るなどペースが上がったことで運動量が増えたこともあるかも知れない。 Gに対しても以前と比較して若干毅然と立ち向かうことができたのもそういった成果かも知れない。

海外療養費支給申請

昨日は午前中に阿佐ヶ谷の杉並区役所へ海外療養費支給申請をしに。海外で受けた歯科医療も国民健康保険の適用で7割程度の支給があるので金額が大きくなると申請している。 それでもその書類や手続きは非常に煩雑で申請ハードルは高く、「もういいか」と心が折れることもある。 この支給の時効は2年なのだけど、新型コロナの水際対策で一時帰国が3年以上叶わなかったこともあり、何件かの治療費はその時効を超えていたため、窓口で「受け付けられない」と告げられた。 行動制限があり帰国できなかった期間が2年以上に及ぶため、検討して欲しいと告げると、担当の人は驚いた顔をして 「上と相談します」 と奥に消えた。新型コロナが始まって以降、この海外療養費の申請に訪れたのはオイラが初めてなのだろうか。しばらく待った後、「預かって所内協議となった」と言われ、なぜ時効を超えて申請するのか「理由書」なるもの書かされた。 また、海外療養の領収書原物の提出が義務付けられているにも関わらず 「Receipt」の意味がわからず、何十枚もある「Receipt」を「領収書」と和訳させられ、その全てに「和訳者」としてオイラの名前と住所を書かされた。 あらゆる書類にそのような「補助作業」が必要で手続きは1時間半にも及んだ。「海外療養費支給」という制度でありながらその運用はまるで徹底されておらず、酷いものだった。 この障壁が「もう次回はいいか、面倒くさいから」となるのを想定しているのかとさえ思わせる。

20年ぶりの駅員さん

今から20年以上前に女性一人でマレーシアに移住してきて現地の日系企業で働いていた「うぴこ」が、 「箱根湯本で動画を撮っていたJunさんに似た人を見たんだけど、まさか箱根になんかいませんよね?」 とメッセージを送ってきた。それは紛れもなくオイラである(笑)。 うぴこは2年前に住んでいた福島を離れて小田原へ移ってきて、なんと箱根登山鉄道で駅員として働いている。月曜日は小田原駅で仕事しているというので、帰りがけに会うことにした。 箱根登山鉄道の起点終点駅である小田原に着いてホームに降りると、女性駅員用のユニフォームを着たうぴこが降車客を見守りながらホームに立っていた。 マスクをしていたがすぐうぴこだとわかった。仕事中だったけど、少し立ち話をして別れた。 他の駅員さんたちのもとに戻って話をしているうぴこはカッコ良かった。

箱根の旅

週末から2泊、おふくろの故郷でもある小田原、箱根の親戚回りをしてる。 朝は漁港の食堂で刺し身やアジフライを食べ、箱根の温泉につかって癒やされてる。 泊まらないけど、宮ノ下の富士屋ホテルは重厚な歴史を感じさせ、箱根の山々に囲まれた姿が美しかった。

昨日の行動

昨日は日本のパートナー会社へ。 行き掛けに人形町に寄り、海苔を買う。 ここは人形町に実家を持つ友人が強く勧めてくれた美味しい海苔のお店。バンコクにいた時から「帰国したら買いに行こう」と決めていたのでこのタイミングで購入できて嬉しい。 この店のすぐそばに漬物専門店があって、店先に探していた紀州南高梅のつぶれ梅があったのでこちらも購入。 奇遇なことに、この漬物屋は海苔の店を勧めてくれた友人が昔バイトしていた店ということでこれもまた不思議な縁だな。 ランチはパートナー会社の社長にCITIBANKカードのCMに出てくるようなお店で和食のフルコースをご馳走になり、 食後にオフィスで午後一杯の会議。オフィスは最近流行りのグリーンオフィスで、スタッフのデスクは撤廃してリモートワークを前提にしたサロンのような空間になっている。 会議が終わると、会長、社長、取締役たちと代々木公園にある和食屋へ。ここは元会社の後輩女性がやっているお店で、福井出身の彼女が福井の食材を使った料理を福井の地酒とフルコースで提供する。 9時過ぎに食事会を終えると、白金台のバーで二次会。 ウィスキーの水割りなどをいただきながら、東京の夜を楽しみ、深夜0時ごろに帰宅。

家中華

昨日は親類と友人が自宅にやってくるというので弟が中華料理を作った。 DIYもそうだけど、料理もとにかくこだわる。仕入れから味付けまで相当の試行錯誤を繰り返して完成に近づけてきたとあって、それは絶賛の嵐だった。 エビチリは香港仕込み、おふくろの味を受け継いだもの。あんかけ焼きそばは麺も餡もこだわりの逸品だった。

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