マレーシアに着任して間もない1993〜1994年頃に「インターネット」というのが世界を大きく変えるらしいという話が出始めた。その時いろいろなメディアや専門家による「インターネット」は 「世界中の人々が繋がって、何か知りたいことがあるとリアルタイムで誰かが答えてくれる」「ホームページなるものがあって本のページのように情報が閲覧できる」「パソコン上に書いた手紙が電子で相手に届く」 といった説明がされていて、実際のところまるでよくわからなかったし、きちんとユースケースを説明できる人もいなかった。 きっと、その当時世界で最もインターネットの知識を持った人ですら、のちにマークザッカーバーグのような人が現れてFacebookといったプラットフォームを作って世界中の人が自分たちのコミュニティを形成するなんて想像できなかっただろう。 メタバースやNFTが今そんな感じ。 可能性がデカすぎて誰も全体像を結べない、そんな黎明期だ。 インターネット黎明期に「早く何か始めた人」の多くがネット億万長者になった早い者勝ちを体験してきているので、今回も多くの企業やベンチャーが動いている。 NFT(所有や売買の履歴を証明できる技術)を取得して、あるチームが制作したクリプトパンクスと名付けられた1万個の「顔」。 この顔アイコンはデジタルであるにも関わらず、ゴッホの絵のように本物だけの証明書が付けられるようになったことで「所有」することができるようになった。それがマーケットで価値を認められ、「デジタルの所有」という話題性もあって最も高額な「顔」は8,000万円で落札された。そして、下の青白い顔の2つの顔は、8億6700万円で売買される。 いや、もう何が何だか、世界では何が起こっているのかついてこれないでしょ(笑)? でもね、ついてこないとダメなのよ。デジタル技術による情報格差が貧富の格差に繋がっていく時代、厳しいね。
15年くらい前にバンコクで知り合った、何をやっているのかよくわからない日本人がいた。 知り合ったのは日本人仲間が集まるワインバーのパーティーで、少し小さめで傷だらけのギターを抱え、 「じゃ、歌おうかな」 と言って、聞いたこともないそれほど上手くもない歌を歌っていた。 その小柄な男性はのぼるちゃんと呼ばれていて、タイ語の翻訳仕事をやりながらなんとか細々とバンコクで生き抜いているという話だった。FBで友達になったが、毎日、朝昼晩にアップされてくるのはどんぶりに入ったスパゲティの写真ばかりで、カミさんとそれを見ては 「のぼるちゃん、こんな食生活で生きていけるのかな」 と心配になる程だった。 それから風の噂に何度か日本で暮らしている、タイに戻っているらしい、といった話を耳にしていたが、ここしばらくは音信不通だったし、オイラもカミさんものぼるちゃんのことを忘れてしまっていた。 今日、ネットニュースを見ていたらのぼるちゃんの記事が出ていた。 審査員の一人、五木寛之は 「単なる風俗小説ではなく、面白さの中に品の良さを感じる」 と評していた。 「タイでの経験、行間に」 という小見出しもあったから、バンコクでの生活から得たものを織り込んだのだろう。とにかく、どんなことでも 「続けること」 が何よりも大事なんだなと改めてのぼるちゃんに教えてもらった気がする。
この2年の間に自室やたまにコンドのプールサイドで仕事をしてきたことを振り返ると、ネットさえ繋がれば完全に会社が回ることが実証された。そうすると、自宅に敢えて擬似オフィス空間を作り出す意味は 「追加の費用がかからないし、気を使わない環境が落ち着くから」 以外にない。 逆に言えば 「少し費用がかかってもいいので気分を変えたい」 のであればワーケーションしてしまえばいい。 今までソンクラン休暇や年末年始休暇を使って2週間くらいの旅行をしていたが、この「2週間」というのが社会人になってからの限界だった。なんの限界かというと 「会社や同僚に迷惑がかかる」「社外のクライアントや取引先に見栄えが悪くなる」 限界だったのだ。 しかし、旅先であろうと自宅であろうとネットさえ繋がるのであれば、どちらの限界も消滅する。 ビーチリゾートの砂浜で、ヨーロッパの街並みを歩きながら 「あ〜、欧米人みたいに1〜2ヶ月くらい長期休暇が取れたらもっとここでのんびりできるのになぁ」 と感じたことは日本人なら誰でもあるだろう。 休暇がそんなに長く取得できないのならば、休暇とワーケーションを組み合わせてしまえばいいのだ。 とりあえずオミクロンが明けたら、大好きなウブド辺りから始めたい。 クライアントへの資料を作り終えるたびに一杯なんてどうよ。
カブが朝の散歩を自己鍛錬の場にし始めた。 散歩経路の途中にある歩道橋の前で全く動かなくなるので、何がしたいのか様子を見たら歩道橋の階段の1段目に前足を乗せてしばらく上を見上げている。下ろしては乗せ、下ろしては乗せを繰り返した後で、今度は2段、3段と上っては降りてくるを繰り返すようになった。 これを1週間ほど繰り返した。 それから2段、3段が5段、6段を上っては降りを繰り返すことが数日続き、今日はとうとう15段ほどを上って踊り場に辿り着いた。 本人は感慨深げに踊り場から地上を見渡していた。 今日はこのくらいで勘弁してやる風の顔で踊り場から階段を降りると散歩を続けた。 この歩道橋を上りきるにはもう一つ15段の踊り場を超え、最後の15段をクリアする必要がある。カブの挑戦はまだまだ続く。
昨日はバンコクソフトボールでトーナメント戦がありました。 オイラは2本柵越えを打ち、投げては13対3で抑え、バンコクの大谷翔平と呼ばれています。相手投手が勝負を避けて外角に大きく外してきた球をライトフェンス直撃、と、もう手のつけようのない暴れぶりでした。 大差をつけた最終回の打席では相手の捕手が 「もうお手柔らかにたのんますよ」 と言ったので、そりゃそうだな、と思い、内野手の頭越えくらいを狙おうと軽く振ったのが、力の抜けた理想的なバッティングになったのだろう、その打球はレフトの柵を大きく超えていった。なるほど、これなのだな! と62歳にして新たに打撃開眼。 まだまだ伸びるぜ、自分〜と笑いながらダイヤモンドを一周した。
今日、ある制作業務の外注をオイラの会社にお願いしたいということで日本にある会社とオンラインミーティングをした。初めての取引だし、初めての業務なので、どのような仕事内容なのかを先方からブリーフィングしてもらうためだ。 先方の責任担当者が、 「今までの外注先がミスが多くて、我々も信用を失いかけているのでもう藁をも掴む思いで御社にお願いしたいとおもいまして」 と言った。 【藁をも掴む/藁にもすがる】 溺れたときに藁にすがっても助かるはずなどないが、非常に困窮したときには役に立たないものにまですがろうとするということ。 「ミスが多くて信用を失いかけている」 というのが何となくわかった気がした。