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マレーシア、タイから発信するアジアお気楽情報サイト

Tag: タイ

パンプキン鬼滅

昨日はハロウィンでハルはパンプキンと鬼滅の混ざったコンセプト不明のコスチュームを着て学校に行った。母親から「そんな格好で行って、誰もしてなかったら恥ずかしくないの?いいの?」と聞かれても「うん、僕、全然恥ずかしくない」と通学バスに乗り込んだのだ。 帰宅したハルにどうだったか聞いてみると、案の定「うん、クラスで誰もハロウィンの格好とかしてなかった。僕だけだった」と。「でも、全然平気。楽しかった」と。 日本ならちょっといじめのきっかけにもなりそうな試みだけど、天性の明るさがハルの強みでもある。 「私はそういうところがほんとにいいと思うよ、ハルは」 とカミさんはしみじみと喜んでいた。

モチ、デビュー

遥がTwitterにアップしたモチの動画がバズってて、朝からいろんなメディアから「使わせてください」依頼が次々に届いている。 現在、163万回再生。更新中。 お昼のAbemaヒルズで出るそうです。

日本史との格闘

高校で「世界史」か「日本史」のどちらかを選択するシステムっておかしくね?今はどうなってるか知らないけれど、オイラの頃は大学受験がその選択だったから生徒は自然にどちらかを選んで集中勉強するようになるわけよ。 で、オイラは高校時代から将来は海外で仕事すると決めていたから迷わず「世界史」を選択。 それで「日本史」は極めて苦手な分野に。ウチは子供たちもマレーシアのインターで育ったから「日本史」を勉強する機会がなかった。 だから山森家は日本史が苦手。 それを克服しようと思い立って、昨日はリモートワークを抜け出しプロンポンの古本屋へ。 そこで歴史書や時代小説を物色し、基礎からやろうと。 真面目そうな新書や戦国時代に関する文庫本も購入しながら、まずは ここからだ。 漫画なら活字ほど眠たくならないだろう、滑り出しはハードルが低い方がいい、と寝室で読み始めたが、すぐにこの重い本が手から落ちてしまい、予想以上に「日本史」手強いなと思っているところである。

追悼演説

たまたまYoutubeのライブ配信で野田元総理の追悼演説を聴いて、いい演説だなぁと思った。何となく耳当たりのいい単語を並べたようなものでなく、彼自身が自分の心情に最も近い表現を選んで選んで紡いだからだろう、キレがあって聴く人の気持ちを揺さぶった。20分を超える演説なのに、構成やメリハリが見事で途中でダレることもなく一気に走り抜けたので長いと感じなかった。2人きりの控室の件(くだり)なんかはドキドキさせたしね。 オイラも母親や父親の葬儀では喪主としてこんな話をしようと考えていたこともあったけど、結局コロナでそういうこともできなかった。 元会社時代は会社の上司、先輩社員だけじゃなく、取引先の社員の家族の通夜や葬儀にも参列して、それらがとても盛大だったのを覚えているけど、コロナ後はそういう葬儀も執り行われてないんだろうね。 タイの葬儀は一夜で終わらない。だいたい3日から10日くらいやっている。 簡素ではあるけれど、僧侶がたくさん並んでお経を唱える厳かなものなんだよね。マレーシアもマレー系、中華系、インド系それぞれ参列したことあるけど、様式はそれぞれ全然異なる。 様式じゃなくて気持ちということなんだよね。

アジアティーク

3連休最終日の昨日はカミさんと2人で、チャオプラヤ川そばの町「サパーンタクシン」と、そこから船に乗って「アジアティーク」を歩いてきた。 迷い込んだホテル脇の路地の奥に、こんな素敵なスポットがあった。 ほとんどが欧米人観光客というところを見ると、きっと有名なんだろう。 夕方から日の沈むまで川に面した、というか、船が通るたびに床に川の水が浸水するので足を上げておかないといけないカウンターでビールを飲んだ。川風がとても気持ちいい店だった。 アジアティークはけっこう観光客がいたが、まだだいぶ店が閉まったままで完全復活するにはちょっと時間がかかりそうだった。 ね、すごい人でしょ。その大部分を占めていたのがインド人とムスリムだった。中国からの観光客がほぼゼロだけど中東、インドが相当気合い入れて旅行を始めたみたい。

外食の日

昨日は昼に柳家三之助師匠とオフィスそばの巨大フードコートでランチを食べ、食後にカフェでタイティーを飲んでいろんなおしゃべりをした。 と言ってもオイラはほぼ聞き役でほとんど師匠が話しているのだが、やはりお話のプロは「間」がいいのかずっと聴いていても疲れず心地良い。 師匠がフードコートで食べたぶっかけ飯は気合の入った辛さだったらしく、普段は甘い飲み物は飲まない師匠が甘さで有名なタイティーを 「今は、これがありがたいざんすね」 と目を細めていた。 夕食は久しぶりの奈須宏とずんこの3人でスペイン料理へ。 28歳でタイにやってきたあのヒロがもう40歳だってよ。その上、お会計が来たらサッと伝票を奪ってクレカを乗せて「今日は僕が」と。時はすごい速さで過ぎ去ったのだなと(笑)。

アバター爺さん

今、オイラの会社(タイ)では日本のパートナー(京都支社)とその取引先(東京本社)と3社共同で一つの仕事をやっている。それぞれに複数人のチーム同士で、打合せやコミュニケーションも複雑になるので、バーチャルオフィスで仕事をする。 誰か特定の人とだけ話したい時は自分のアバターをその人の隣まで移動させるとオンラインで打ち合わせが始まる。複数で会議をしたいときは会議スペースに集まると自動的に全員がオンラインで顔を見ながら打ち合わせできる。 出勤、欠勤の状況や、誰が仕事中で誰が休憩中かもわかる。休憩中の人の隣へ行けば雑談もできる。 オイラはその仕事に直接関係ないけどアバターをもらったので、ここに入っては庭を散歩したりキャンティンでコーラ飲んだりして彷徨く変な爺さんになっている。

死んだ時のお願い

先週、たまたま娘と息子とカミさん、オイラの4人だけで夕食をとる機会があったので、オイラとカミさんから自分たちが死んだ時のお願いについて改まって話をした。 お墓は要らない。 Jun家でもカミさんの実家でも分骨や墓仕舞いを行い、自分たちの先祖の「墓の世話」を子孫が見るというしきたりを捨てた。先祖から脈々と同じ宗教のもとで、同じ土地、同じ国で暮らすことが前提だった時代には成立するが、我が家のように今後自分たちやその子孫がどこの国のどこの地域でどんな人種と結婚してどんな暮らしをするかわからない時代には、墓運営の負担は無用だと考えた。 火葬したら散骨して。 場所もこだわらない。散骨業者が一定量まとまると何処かに散骨してくれるらしい。そもそも無宗教で生きてきた。 骨を少しだけ残してくれるなら、お父さんとお母さんの骨を小さな一つの骨壷に一緒に入れて欲しい。 通夜も葬儀も要らないから1日だけ2人でお父さん、お母さんの話をして欲しい。 娘も息子もちょっと神妙な顔をしていたが、了解してくれた。

久しぶりのパタヤビーチ

先週の金曜、土曜と思い立ってパタヤに行ってきた。4連休中の2日目にリゾートホテルの部屋が残っているかというと、まだ少し残っていた。パタヤ、本調子ではない。 何しに行ったかというと「Walk & Jazz」を撮りに行ったわけで、砂浜でのんびりすることもなく 35,000歩も歩いて歩いて歩き回ってきただけである。

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