土曜日は、気持ちに余裕も出てきたのでスバンのSIONというレストランで開かれた「柳家三之助独演会(三之助をみたかい?)」に。三之助師匠の高座を観るのは5年ぶりになる。お客さんは全部で20人ほど。 相変わらずキレのある語り口で大作「芝浜」を演じてくれた。マレーシアで「芝浜」が聴けるとは思わず、出だしの 「ちょいと、お前さん、起きとくれよ」 で鳥肌が立った。 SIONは塩見シェフの絶妙な料理に舌鼓を打ったが、ちょっとボリュームが足りなく、はらまきに「まだ帰りにラーメン食えるな」と冗談を言ったら真剣な顔で大きく頷いていた。
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銀行アプリを使ってちょっとだけ残っている残高をベロニカの口座に送金し、ベロニカからその分を現金で貰えばギリ生存できるかも と考えて離陸する前の機内でぴこぴこやってみるも、何度やっても「Failed」となり送金ができなかった。仕方がないのでそのまま飛び、KLに着いてから試してみたが、今度はマレーシアで契約しているキャリア(Digi)のネットが繋がらない。銀行に電話をかけてみるも、そもそもDigiが切られていて電話がかけられない。この現代社会の中で急激な孤独に苛まれる。この流れは、アパートに着いたらエントランスカードがない、部屋の鍵がない、車のバッテリー切れで動かない、といった「絶望パッケージ」への入口じゃないかと震えがくる。 とにかく電話やネットが使えない以上、直接人に会って相談するしかない、と銀行の窓口へ行ってみる。事情を説明すると、「就労ビザの更新がされていないので凍結されている」と言う。まあ、とにかく原因が判明したのは希望の光だ。しかしもう30年以上もマレーシアで銀行口座を持っているけど、就労ビザの更新のたびに銀行に報告義務があるなんて初めて聞いた。ともかく銀行記録へのアップデート手続きを行い、アプリを使えるようにしてもらう。これでタイなら「カードレスATM」が使えるのでスマホさえあればATMで現金を引き出せるのだが、マレーシアは一歩遅れていて、「カードレスATM」ができない。と言うことで、ATMカードを再発行してもらうことを思いつく。オイラ、天才。なんだかんだもう銀行には2時間ほどいるがATMカードを再発行してもらうことができた!ATMマシンからRM500が出てきた!このお金を握りしめて、今度はKL市内にあるDigiのお店に走る。引き落とし口座が凍結されて、支払いができていなかったため、電話アカウントも凍結されていたのだ。窓口で事情を説明し、握りしめていたRM500からRM485を払ってアカウントを復活させてもらうとネットが繋がった。社会と繋がった。 すでに夕方。昼飯も食べてないのでDigiの隣にあったマックへ行き、注文マシンでセットをオーダーしようとしたけどできるだけ節約しなきゃと思い直してお腹を減らしたまま帰宅。 冷蔵庫の中にあったお土産のキットカットを食べて凌いだ。 さて、これから何とか25日まで生き抜くぞ、オイラ。
元会社(DIK)時代からお世話になっている先輩から大昔にオイラが社内報に寄稿した記事が送られてきた。昨日の「この先どうする?」の「ひと言」を読んだ後でこの社内報記事を見つけて、いいタイミングだとわざわざ送って下さったのだ。 その原稿はオイラが33歳、マレーシアのクアラルンプールで苦労して支社を立ち上げた時に書いたものだったが、こんな気持ちだったんだなぁ、と忘れていた記憶が蘇ってきた。こんな出だしだった。 ことし一月三十一日、本社より田中社長、矢部取締役、DIKタイより川村社長をお招きし、DIKマレーシアのオフィシャル・オープニングが挙行された。南国の青空にはためくDIKの社旗を仰ぎ見ながら、この日に至るまでのさまざまなことが思い起こされ、感きわまった。 三年半前の赴任当初、私は重度の下痢に悩まされ、通じない会話にいらだち、はかどらない仕事に焦り、体重が八キロ減った。ひとり寂しくホテルの部屋で、「これから俺はどうなるのだろう」と不安いっぱいだった私を元気づけてくれたのは、DIKの仲間から餞別にもらった「スーダラ伝説」と「ひばり大全集」(二枚組み)のCDだった。植木師匠は、「いろいろあるよいろいろね そんなこたどうでもいいじゃねえか」と笑いとばされ、ひばり先生は、「川の流れのように」とやさしく諭してくださった。 今の自分からすれば「おい、そんなのは苦労のうちに入らねーぞ。その後、とんでもねぇ、苦労人生が待ってるからな」 と無慈悲な声もかけてやりたくなるが(笑)、この時は、なんかこう、一つの山を乗り越えて、これから果てしない希望が満ちているという斜め上向きの眼差しが思い浮かぶ。 まだまだ初心を忘れずに、挑戦し続けていったろうやないかい、という気持ちになった。
今月頭、息子が日本に帰国する前の最後の週末に、彼らが子供の頃から撮り溜めた写真をスライドで上映した。 マレーシアのランカウイ島やモルディブ、オーストラリアのダーウィン、パース、ギリシャやデンマークやスウェーデン、カナダのトロントやバンクーバーなど、マレーシアという地理的優位さや海外駐在員という身分を利用してずいぶん豪勢に旅行していたもんだなと思う。 当時は日本の給与はそのまま日本の口座に振り込まれ、その上でそれ以上の海外勤務手当というのをもらう時代だったから海外駐在員はそれなりに生活が楽だったと思うが、今はそんなこともないらしい。 写真のスライドの箱の隅から子供たちの2歳の時の声、とか4歳の時の声、とか古いカセットテープが出てきたが、もはや我が家にはカセットプレイヤーがない。 そのためにプレイヤーを買いに行くのも面倒だし、どこかに落ちてないかな(笑)。