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Tag: 家族

バンコク戻り

昨夕、3週間ぶりにバンコクに戻ってきた。帰宅後1時間ほどしてカミさんは、PCR陽性反応が出て姪っ子家族と一緒に帰国できなかった10歳の長男くんの同伴で日本に向かった。1週間ほど日本に滞在してまたバンコクに戻ってくるが、オイラはその前にマレーシア3週間なのでここも入れ違いになってしまった。 ところで「時効切れ」になっていた療養費申請、出発の前の日に「却下されました」と電話があった。この人たちとは話し合いを続けても時間の無駄だな、と諦めてすぐに受け入れた。生活保護制度も実際にはほとんど却下されると聞いたことがあるけど、政治家がご立派な法制度を作っても、行政にきちんと運用させられないんだったら絵に描いた餅だからね。 さて、久しぶりにバンコクの自宅で目覚め、カブの散歩をして、朝ご飯を食べた。一番安心するルーティーンである。

健康診断の結果

昨夜、夢うつつで首筋を這い回る何かがGだったことがわかり、深夜3時に一人でパニックに陥っていたオイラです。 一時帰国中に3回ほど通院しながら行った健康診断の結果を今朝聞きに行ってきた。ありがたいことに薬を飲んでいる血圧や尿酸値の他、全ての数値が正常範囲内で医師からも「問題ないですね、いいですね」と診断され、ホッとしている。 食生活が大事だとしたら、コロナ時代のリモートワークのせいで昼も夜も外食がほとんどなくなり、カミさんが苦労して考えている毎食のバランスの取れたメニューのお陰だろう。それからカブのお陰でウォーキング中にジョギングが入るなどペースが上がったことで運動量が増えたこともあるかも知れない。 Gに対しても以前と比較して若干毅然と立ち向かうことができたのもそういった成果かも知れない。

家中華

昨日は親類と友人が自宅にやってくるというので弟が中華料理を作った。 DIYもそうだけど、料理もとにかくこだわる。仕入れから味付けまで相当の試行錯誤を繰り返して完成に近づけてきたとあって、それは絶賛の嵐だった。 エビチリは香港仕込み、おふくろの味を受け継いだもの。あんかけ焼きそばは麺も餡もこだわりの逸品だった。

冷蔵庫移動

弟が近所の友人から冷蔵庫をもらうというのでその搬出、移動、搬入を手伝った。オイラは18kgのカブを抱き上げて腰を痛めているという情報を予め入れておいたので、101kgもある冷蔵庫を持ち上げる必要のないよう、得意のDIYで準備をしてあった。 サッシのレールを保護する台を作り、段差なく搬出できる台やスロープを作り、冷蔵庫用の台車も手作りしてあった。 近所なので、この台車を押して実家まで運び、今度は搬入用サイズで作ったスロープや台の上を移動させて計画通り作業を完了した。 オイラは汗ひとつかくことがなかった。

今年2月、父親が亡くなってから亡くなってからまだ会ったことのない遠い親戚などとも連絡を取り合う中で、祖母の先祖と辿った家系図や古い記録が掘り起こされ、ファミリーヒストリーが明らかになってきた。 遡ること室町時代、祖母の先祖、服部家は伊賀の忍者であったことがわかった。 まさに、山森家は 服部半蔵の末裔、忍者ハットリ君の子孫だったわけだ。 戦国時代に入ると、今川家の諜報活動や暗殺などをし、その後、信長、秀頼に属し、忍者として代々任務をこなしていた。 家康が天下を取り、戦国時代が終わり江戸時代に入ると、忍者の任務もなくなり祖母の実家でもある豊橋に拠点を移し、そこから今の時代に入ってきたわけだ。 ハゲがいつも身軽に飛んだり跳ねたりでんぐり返しをしたりしているのは 「忍者の血だったのね」 カミさんや娘はようやく腹に落ちたようであった。

誕プレ

先週会えなかった娘から誕生日プレゼントをもらった。 なんだと思う? VRゴーグル? やっぱりメタバース用のゴーグル? 目の疲れを取るマッサージ機でした。 いろんなモードがあって、本当にマッサージ師の指で目の周りをやってもらってるみたい。スピーカーから音楽まで流れてくる(笑)。 これは仕事終わりや寝る前にめちゃいいわ〜。

頼もしく思う

ここしばらく千朝や遥の担当する仕事が忙しく、昨夜も千朝は深夜1時に取引先とオンライン会議をして2時半頃まで作業をしていた。週末や深夜まで作業が入ったりしながらも「絶対にこなさなきゃ」という一心で頑張り続けている。 それでいてハルは朝6時過ぎに日本人学校のお迎えバスが来るし、ゲンの幼稚園の準備もしなければならない。 睡眠時間も少ない中、ちゃんと弁当作って送り出してるのは偉いなと思う。 そして朝のミーティングは日本との時差があるので毎朝8時には始まるため、ひと息つく暇もない。なかなかのスーパーウーマンだ、と我が娘ながら感心するのだ。

孤独と年齢

31歳でマレーシアに移住してから最も長い期間マレーシアを離れていたこともあったのか、戻った部屋がカビのせいで初日からベッドで寝られなかった不幸もあったのか、リモートのせいでスタッフとも会えない状態だったからか、 マレーシアにいることに不安を覚えた。 今朝、カミさんとカブと朝の散歩に出たときに「安定したルーティンがあるって安心するなぁ」と思ってそのことをカミさんに伝えたら それ、私もわかる と言っていた。 一人でいることの不安は歳を取っていくに連れて増していくのだ。 こんな恐れに負けないために、敢えて今から海外進出して新しい国で現地駐在しようかな。

死に方

昨日はカミさんの誕生日だったので、仕事が終わってから予約しておいた焼肉屋に出かけた。 いつもより少しいい肉を焼きながら話したのは 「どうやって長生きしないようにするか」 もちろん元気ならいいのだけど、寝たきりになったり、ボケてしまってからひたすら生き永らえるのは嫌だ。ただただ身内に迷惑をかけるだけなのにボケてしまったらそれもわからない。とは言え、今の法律では積極的に逝かせてもらうことができない。 オイラの母親は目を閉じるまで全くボケず、極めて聰明なままだった。その母親は直前まで「死にたくない。先生、どうしたら死なないですか?」と担当医に聞いていたくらい生に執着していた。寂しがり屋だったから家族を残して一人で逝くことが不安でたまらなかったんだろう。ボケてなければそんな感情も湧くのだろうか。 いったいどうしたらいいんだろう、などと言いながら、いつの間にか 「うん、美味いな。次これ行くかね」 などと我々は哲学から本能へと突き進んでいったのだった。

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