金曜日は福岡からしまぶーがバンコクまで遊びに来たので家飲みした。 しまぶーの右手のところにカブの耳がちょっと見えてかわいい。しまぶーは引き続きアジア雑貨のオンラインショップをやっているが、巣篭もり需要で調子はいいらしい。オイラはピアノ弾き語りで飲み会のBGMを仰せつかったが、練習してない曲は忘れてしまっていて、ちゃんとできなかった。とにかくこの歳になると、練習を欠かしてはダメだと痛感しました。 昨日は朝からちょっと具合が悪くて発熱もしていたので、これはいよいよオミクロンをもらったか、と自宅内隔離をされた。熱は37度ちょっとくらいでそれほど苦しくもなかったので、カミさんに「ケーキ」とか「おしるこ」とかわがままを言いながら寝室で「スパイ大作戦」のDVDシリーズを観て過ごした。夕方抗原検査キットを2〜3種類買ってきて、自分で検査してみたが、どれも陰性だったので、そのまま「スパイ大作戦」を観続けた。 今朝は平熱に戻っていたが、娘から「検査したら陽性になった」とメッセージが来た。まあ、陽性の子供二人の世話をしていたら移るよね。
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昨日、ハルに熱があると学校から帰されて、娘がゲンと一緒に病院に診察に行くと、ハゲの両方がオミクロン陽性だった。ゲンは無症状。それでもハルのクラスもゲンの幼稚園も閉鎖。 コロナは、症状の軽重に関わらず、その周辺一帯をフリーズさせてしまう。オミクロンとなると、罹患することよりそちらの方が恐ろしい。 早く英国みたいに「インフルエンザ」分類となり規制が撤廃されるといいのに。 オイラと嫁さんは先週からハゲ一家に接触していないので濃厚接触者とはなっていないのだが、念のため明後日のソフトボールは不参加にした。 一方でインフルエンザは激減しているらしいね。コロナによってこれだけ対策が徹底されていればインフルエンザ如きが蔓延する余裕はないってことか。 今週末もハゲに会えないのは寂しいけれど、完治するまでおとなしくしているよ。
始まっちゃったんだね、戦争が。 結局古今東西、世界の指導者に「最後の最後、自国の意思を通すには武力」という確固たる信念がある以上、ここに行き着くのだ。 その肯定感は幼少期から育まれてしまう。スーパーマンもバットマンもスパイダーマンも喝采を浴びる世界のヒーローは「武力」で悪を制する。ウルトラマンが街を蹂躙する怪獣の前に立ちはだかり、スペシウム光線を出す前に 「まあ、ちょっとここへ座れ。何がそんなにムカつくんだ、話してみろ」 というシーンはなかなか見ない。 戦争をなくすにはまずアンパンマンがアンパンチを封印するところから始めないとダメなのだ。 さて、タイの入国規制が3月1日から緩和される。いよいよ渡航が可能になってきたので、まずはマレーシア出張の手続きやスケジュール調整だ。2年間空けていたので、オイラの就労ビザは切れてしまった。新たに申請を開始し、承認が降りたところで現地手続きに繋げていく。 1ヶ月くらいはマレーシアかな。 それが終わったら一時帰国したいな。5月、6月ごろ戻れるかな。
親父が亡くなってから介護を離れた弟は、全ての片付けをそのままにして3日間の完全休養を取った。 その後、掃除と家の修繕、ペンキ塗り、食器棚、本棚の掃除と整頓、祭壇の準備など10日間ほど体に湿布を貼りまくりながら完了させたらしい。 そんなことで今日はおふくろのダンスの友人たち(おふくろは80過ぎまでフォークダンスをやっていた)が弔問に来てくれて祭壇に手を合わせてくださったらしい。 祭壇には親父とおふくろそれぞれの遺影が笑顔で並べられていた。 ほんとに何から何まで一人でご苦労様でした。 欧州では出入国制限や国内でのコロナ対策制限がほぼ撤廃されてきているようだし、マレーシアもタイもだいぶ緩んできた。日本人はとても怖がる国民だから、緩和のタイミングは遅れるだろうけど世界の流れには逆らえないので早晩規制も緩んでいくだろう。 早く帰りたい。
昨日午後、親父が永眠した。 1週間ほど前から自分で立って歩くこともできなくなり、寝たきり状態になっていた。食も細くなって昨日の朝は大好きなアイスクリームも食べなかったらしい。介護をしている弟が、親父がイビキをかいて寝ている間に病院に往診を依頼する電話を掛けて戻ったら、もう息をしていなかったと言う。 酒もタバコもやらず、持病もなく、毎日パンに付けて食べていたギリシャのオリーブオイルのお陰で医者から 「血液がサラサラすぎる」 と言われるほど健康で、半年前の健康診断でも何も悪いところがなかったので、老衰ということになるのだろう。 来週2月11日の建国記念日で91歳を迎えるはずだった。名前の「紀(おさむ)」はこの紀元節の「紀」から取ったものだ。 親父は東京外国語大学インドネシア学科を卒業後、中堅の貿易会社に入社し香港に赴任した。香港駐在中に私は現地で生まれた。私は3歳で母と日本に戻ったが、父は私が成人するまで長く香港に駐在した。 その後、西武百貨店、西友と西武グループに勤め、北京、上海に駐在した。香港と中国で人生のほとんどを過ごし、香港をこよなく愛する親父は、昨今の中国による香港での武力行使を辛い思いで見ていたことだろう。 西友を50代で早期退職すると、祖父の死後休眠状態になっていた貿易会社を継ぎ、一人で貿易会社経営を始めた。 インドネシア 肥料として価値の高いコウモリの糞マレーシア 海鮮加工品やココナッツカレーオーストラリア 病院の床ずれ防止用のシープスキン中国 MOSバーガーなどに使われたXO醬ギリシャ エキストラバージンオリーブオイルアメリカ 装飾用飾り紐 など、一人で世界を飛び回っては、買い付け、輸入通関業務、国内販売をこなした。86歳の時、また新たな商材を探しに晴海の展示会場を歩き回っている最中に倒れ、それを最後に会社を弟が引き継ぐことになった。 とにかく実直で真面目で仕事が大好きだった。久しぶりに一時帰国したり、電話で話しても親父は今彼が扱っている貿易業務の話を楽しそうに私に伝えてきた。 私の海外転勤を1番喜んだのも親父だった。元会社から 「シンガポールとマレーシアの両方を見て欲しいが住むのはどちらがいいか?」 と聞かれ迷っている時に 「そりゃマレーシアだ」 と私のマレーシア転勤を決めたのも親父だった。インドネシア語とマレー語は非常に似ている。インドネシア学科卒の親父は私がマレーシアに渡ってからすぐにマレー語クラスに通い始めた。 海外で事業を起こし、海外で暮らす私を誇りに思ってくれていた。親父の友人がクアラルンプールに来た時に 「『いつも息子はマレーシアやタイで頑張っているんだ、すごいんだ』と会う人みんなに自慢しているよ」 と聞いて涙が溢れてきてしまった。 コロナのせいで丸3年も会って話をすることができなかった。もっといろいろな話をしたかった。私のここ最近の会社や仕事の話もたくさん聞いて欲しかった。 今も出入国の規制が厳しく、一時帰国しても何もできないため、葬儀、火葬の手配はそのまま弟にやってもらうことになった。もう明日の朝には火葬場だしね。送り出すこともできなくてごめんね。本当に今までありがとう。 今晩はカミさんと追悼の酒を飲みながら思い出話をすることにしたよ。仲の良かった天国のおふくろとまた会えるね。そこでまた積もる話もしなよ。きっと止まらないだろうね。
珍しくオフィス出ると続くもので、今日と明日、クライアントが対面で打ち合わせをしたいということで連続して出社することになる。 昨年の5月頃からほとんどスタッフが出社してないので、活気のあったオフィスもなんだか倉庫っぽい。出社していた数人のスタッフで片付けや掃除をしてもらった。 オフィスを見渡して、 「このオフィスにはもう全員が集まって仕事をすることはないのかも知れない」 と思った。 リモートワーク時代に合わせ、全員が一斉に働かないことを前提にして、契約更改時にオフィス自体を引っ越すことも検討中だからだ。 どういうオフィスにしようかな。そんなことを考えている。
マレーシア飯が恋しい。もうすぐ丸2年、マレーシアの地を踏んでないことになる。借りているコンドは大家さんが優しいので家賃は半分にしてくれているし、時々お願いして部屋の様子も見てもらっている。冷蔵庫の中のものも整理してくれて電源を切ってドアも開けままにしてくれた。駐車場に停めてある車はとっくにバッテリーが上がっていて次回行った時にはバッテリー交換の作業からだ。それでもユーティリティは基本料金がかかるため、2年間使っていない部屋でも電気代と水道代は支払っている。 ワーキングパーミットも切れていて再申請をしないといけない。次回のマレーシア滞在はちょっと長めになりそうだ。それだけにバンコクとの往来が制限なくできるようになって欲しいと願う。 恋しい恋しいジャランガシンのバナナリーフレストラン。あのロティチャナイのぺったんぺったんを見て紛らわそうぜ。
明けましておめでとうございます!2022年がスタートしました。ほんとに今年が世界にとって良い年になりますように。 オイラは今年も攻め続ける。新型コロナに影響されたこの2年間で仕事や暮らしの様式が大きく変容した。先月来タイする予定だったIT社長の会社ではリアルのオフィスを解約、消滅させ、バーチャルオフィスに変えた。社員は自分のアバターを作ってバーチャル出社。そこで様々なコミュニケーションを司るのだ。 雲の上のルーフトップオフィス(笑)。 スタッフは自宅からリモートでバーチャル出社。 Facebookも事業の柱として打ち出したこのメタバース(3次元の仮想空間)は今後急激にビジネスやエンターテイメントの日常として普及すると今日元旦の日本経済新聞にも書かれている。こんなのコロナがなければほとんどの経営者が 「仕事は遊びじゃないんだ。効果不明の大改革なんていうリスクを背負えるか!」 と言い、導入する企業はゼロだったに違いない。 本当に新型コロナは時代の変革に絶大な影響を与えたと言える。 2022年、我々もコロナと上手に共存しながら、仕事もプライベートもどんどん新しいことに挑戦して成果を出していきたい。