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Tag: バンコク

ジジイの喧嘩

まあ、始める前からいずれ勃発するだろうとは予測していたけれど。バンド内のメンバー同士の喧嘩。とは言え、高校時代と違っていろいろな経験を積んできたいい歳をしたジジイたちだし、それも杞憂になるといいなと少しは思っていたんだけど、人間というのは幾つになってもその性格は変わらないものだと思い知らされる。 むしろ悪いのは歳を取って 読解力、咀嚼力、思考力が落ちている頑固さに磨きがかかる言わなくてもいいことに歯止めがかからない と、トラブル要素はどんどん成長していることだ。 その思考力が弱って頑固になった歯止めの効かないジジイを、オイラが個別になだめるのだ。 二階さんが引退するけどさ、企業、団体でも柔軟性の欠ける高齢者は重要なポストから引退した方がいいんだよ。

矛盾のアルバム

「α波」とか睡眠用音楽を聴くのがけっこう好きで、いろいろ試してきた歴史があるんだけど、最近は 安眠堂の「すぐに眠れる音楽」 が定番。 このアルバムには と、8曲が収録されているんだけど、1曲目の「レム睡眠」のイントロ部分しか聴いたことがない。確かに8曲聴けたら「どこがすぐ眠れるんじゃい!」になる矛盾を抱えたアルバムなんだけど、オイラの場合は1曲目すら聴くことができない。 というようなことをカミさんに話したら 「何もなくても1分で爆睡するヤツが毎晩そんなもの枕元でかけて何の意味があるのよ」 と、そもそもオイラは視聴資格がないと告げられた。

ときどき集まる会

ほんとにギャンブルは怖いねぇ。こんなに華やかで人生順風満帆に見えてもその裏には人それぞれいろんな重荷を背負ってるんだねぇ。 大谷も辞めろって言ってたと思うけど、泥沼だったんだろうねギャンブルってのは。あまりにももったいない。 昨晩は11年前にバンコクから本帰国した友人が来タイして仲間が集まり飲み会。この「バンコク在住長い人たちの会」もずいぶん減って今は20人くらいだろうかねぇ。中心メンバーも50代に差し掛かり、「おい、こんな時間から唐揚げや海老マヨ注文すんなよ、食えないよ」なんていう声が飛ぶようになった。 不思議なのは、男女とも独身メンバーが多い。というか、そういうクセ者たちがバンコクに長居をするってことなのかも知れないけど(笑)。

忠犬カブ公

朝の散歩でハゲたちが住んでいたコンドの前に差し掛かると、そこで動かなくなるカブ。いつもはここからハゲたちが叫びながら走り出てきてカブと合流する習慣なのだ。 毎朝これをされるとキツい(泣)。

優勝!

昨日は年2回開催されるバンコクソフトボールの大会。 おぼんこぼんは新ユニフォームに身を包み、見事トーナメントを制覇し、優勝!決勝戦では前回大会でサヨナラ負けを喫したラビッツに1点差勝利で雪辱を果たした。 おぼんこぼん1点ビハインドで迎えた最終回表も2アウト2塁。安打が出れば同点、凡退すれば試合終了の場面で、4番野村が2ランホームランで逆転。 その最終回裏、ラビッツはノーアウト満塁で4番バッター。絶体絶命のピンチをピッチャーフライで乗り切り1アウト満塁。 ここでなんとショートライナーダブルプレーという劇的なエンディング。おぼんこぼんは優勝を飾った。 オイラも第2戦で投げ、2失点に抑える完投勝利を収めたよ。

腑抜け

福岡行きのフライトは深夜発だったので、9時過ぎに荷物を全て積み込んで車で空港に向かった。いつもは渋滞の激しい金曜日の夜なのに、なんだかスイスイ運転できてしまって逆に恨めしかった。 荷物のチェックインを終え、イミグレに入る前にお別れをした。 帰路はすっかり気が抜けてしまった。普段は10時には寝てしまう生活だが、帰宅した0時過ぎでもそのままベッドに入って眠れる気がしなかった。それはカミさんも同じだったようで、「飲みに行く?」と聞かれると食い気味に「行こう」と答えた。 もう1時近いというのにナナやアソークはまるで週末の午後のように人も車もごった返していた。僕らが寝ている間、バンコクは毎夜盛り上がっていたんだなと思った。近所のバービアで大勢の白人オヤジたちが管を巻いていたので、すぐ隣のテーブルに座ってビールを注文し、彼らの声に合わせて大声で歌った。 なんだか魂が抜けたようになってしまい、これはちょっと困ったことになった。

離れる日

出産予定日より2ヶ月以上も早く緊急摘出施術となり、医者から「娘さんの命を優先します」と告げられ、どうか二人とも助かりますようにと祈り続けた手術室の前。 まだどうなるかわからない状態で初めて面会した玄貴は、痛々しい姿だった。 病院のスタッフ皆さんの介護の甲斐あり、直接会えるようになる。ゲンと「頑張ったな」と初めて握手をした日。 そして病院から渡された見積もりに「おおお」となった日。 そして玄貴を初めて抱っこして「こんなに軽くて小さい赤ちゃんなの」と驚いた日。 そしていつも玄貴と一緒に過ごした日々。 玄貴は今日、生まれ育ったタイを離れて日本へ行く。 昨日の朝の散歩の時に彼を抱っこして歩きながら彼に話した。 「ゲンは明日日本に行くからじーじと離れ離れになるけど、一つだけ覚えておいてくれる?」 「うん」 「これからじーじはそばにいないけど、いつもどんな時もゲンの味方だからね」 「みかたってなーに?」 「Be with youってことだよ」 「ああ。うん」 ゲンはそう答えると、抱かれながら背中に回した腕にギュッと力を入れてオイラを抱きしめた。 その日、夜中の0時過ぎに寝室のドアが開いたので何かと思ったら娘と一緒に寝ていたゲンがいた。カミさんが「ここで一緒に寝るの?」と聞くと「うん」と答えたが寝ぼけているのかどうかよくわからなかった。 ベッドの上に寝かされると、オイラの腕を持って自分の指でオイラの手をすりすりした。ずっとすりすりしながら寝息を立て始めた。 朝起きると、今日は娘とハルとゲンがバンコクを離れる日だった。

迫り来る金曜日

あと1日。明日の夜にはバンコクを立ち、広島へ向かいます。 今夜は家族で最後の外食ということで思い出の「リモンツェロ」へ。ここでザノッティという生ハムとチーズがふんだんに乗った家族史上No.1のピザやパスタを食べる予定。 オイラがバンコクに住み始めた頃はこのザノッティ、390バーツくらいで、諸物価高騰で今は690バーツと上がったけれど、この味には価値がある。 あ〜嫌だな〜。 こんなに金曜日が来て欲しくない1週間は生まれて初めてだ。

価値観の相違

いよいよあと2泊3日でお別れだ。来年の3月まであと半年かー、と言っていたのに時はあっという間に無慈悲に過ぎた。 今晩娘はママ友たちとのフェアウェルディナーらしい。ママ友と言っても娘の場合はほとんどが外国人。そして欧米人のママ友の価値観は 「両親がバンコクにいるのに男(旦那)の住む場所に行くというのは考えられない」 である。娘にとっては「ファミリーだから。ファミリーが一緒にいるのは普通でしょ?」 なのだが、欧米人ママ達は「日本人の女性は男に依存しすぎ」と娘の判断に異議を唱えるのだ。 これだけ価値観が違うのだから世界中の人々はお互いを「理解し合う」のは無理だね。 目標にするとすれば、 「へー、そんな考え方するんだ。ちょっと私には無理。勝手にすれば」 たぶん、ここまでできれば相互尊重は大成功だろう。

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