昨日はカミさんの誕生日だったので、仕事が終わってから予約しておいた焼肉屋に出かけた。
いつもより少しいい肉を焼きながら話したのは
「どうやって長生きしないようにするか」
もちろん元気ならいいのだけど、寝たきりになったり、ボケてしまってからひたすら生き永らえるのは嫌だ。
ただただ身内に迷惑をかけるだけなのにボケてしまったらそれもわからない。
とは言え、今の法律では積極的に逝かせてもらうことができない。
オイラの母親は目を閉じるまで全くボケず、極めて聰明なままだった。
その母親は直前まで「死にたくない。先生、どうしたら死なないですか?」と担当医に聞いていたくらい生に執着していた。
寂しがり屋だったから家族を残して一人で逝くことが不安でたまらなかったんだろう。
ボケてなければそんな感情も湧くのだろうか。
いったいどうしたらいいんだろう、などと言いながら、いつの間にか
「うん、美味いな。次これ行くかね」
などと我々は哲学から本能へと突き進んでいったのだった。
Prev post
ルイヴィトンのVIP
Next post
貧乏日本の行方
80歳になると「どうやって死ぬか」は直近の命題となります。
私はお世話になったマレーシアへの恩返しもありマラヤ大学医学部へ献体することにしました。
Silent Mentorというプロジェクトでドナーカードも受け取りました。
と、ここまでは順調でしたがいざ献体となるとハードルが待ち受けます。
まず死ぬ場所は病院でなければなりません。
厄介な原因で死ぬと遺体は受け取ってもらえません。
コロナなど伝染病では死ねません。
認知症が厄介な病気かどうかはまだ確認していません。
遺体は死んでから8時間以内にKLの大学病院に届く必要があります。
つまり死ぬ前には大学病院に連絡し遺体搬送の手配をしておく必要があります。
死ぬまでに上記の条件をクリアできることを確認しておく必要があります。
死ぬ直前に私が大学病院に連絡するするのは無理です。
テニス仲間にこの条件をクリアする手助けをしてもらえるようにお願いし快諾してもらっています。
が、その仲間がわたしより先に死ぬかどうかは誰も知りません。
献体も厄介なものです。
>kaobal
すごいですね、ご立派です! 意外に110歳くらいまで長生きするかも知れませんけどね。